時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

美味しかった。林のきのこ。

日本にも自生しているのですが、あまり馴染みがないきのこ、アミガサタケ。

でもこちらではhongo de ciprés シプレスキノコと呼ばれ、大変人気があります。

西洋料理によく合い、ヨーロッパでは人気のきのこです。移住者や旅行者はユーロや米ドルで買っていくので、アルゼンチンペソに換算すると驚くような高値になり、庶民の口には入りにくくなってきました。

このきのこ、自然林の残る場所では春に生えてきます。ただ残念なことに年々林が住宅地に変わり減ってきています。それでこの季節、早い者勝ちと自然林の残る他人の土地に入って密収穫していく人が結構います。

我が家にも小さいながらこのきのこが生える場所があります。

手を加えていない自然林ですから、今の私には歩きやすい場所ではありませんし、きのこを探す目も怪しくなり、何年もきのこ探しをしませんでした。

出来なくなったことの多さに落ち込みたくなかったし、どうしても食べなければいけないものでもないし、まあ良いか…と思っていました。

今年、日本人の女性が私の暮らしに興味を持って、連絡を取ってきました。

Workawayという制度でボランティアの受け入れを始めたこともあり、お客様扱いせずに一緒に農場の作業をしてもらう、同じものを食べてもらう、同じ生活をしてもらうという条件で受け入れました。

彼女に農場の良さや楽しさを体験して欲しくて、何年かぶりにきのこ探しをしました。

どんな風に生えているか彼女に示す為に必死で最初の一本を探しました。

 「ひゃあ!有った~!」

気持ちって通じるものなんですね。思った以上に早く見つけられ、思わず大声が出ました。

それからは2人で「わあ」「きゃあ」言いながら、20本以上のきのこを取ることができました。

簡単には見つけられないので、このきのこ狩りにあまり興味を持たない人もいますが、彼女はやる気満々で探していました。「面白い。」ととても喜んでくれ、私も嬉しかったです。

そして彼女の為になんて思って始めましたが、実は私の為だったんだと気付きました。

歩き難いから、見つけ難いから、面倒だから…いろんな理由をつけてきのこ狩りをしなくなっていたけれど、自分を甘やかして諦めていただけだったんだなあと思いました。

転んでも良いじゃん。枝にぶつかっても、時々目が回ってふらふらしても良いじゃん。それが今の私なんだから。

それに若くて元気な頃と比べたって意味がない、今の自分を素直に受け入れ向き合っていけば良いだけなんです。

きのこ狩りの面白さや楽しさは変わらなかったです。いえ、以前以上に見つけたきのこに心が踊り、ありがとうと感謝と愛着の気持ちが湧きました。

私と一緒に生きてくれ、多くのものを与え、支え、学ばせてくれる自然達。

此処が私のいる場所。生きる場所。だから何があってもいつまでも大好きでいたい。大切にしたい。見つめていきたい。

私が私で良かったと思えるようになりました。

 

 

 

 

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