時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

眩しかった。朝の虹。

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気持ちが沈む時や落ち着かない時、不安が頭を持ち上げる時、私はいつも空を見ます。

それは昼であったり、夜であったり、明け方だったり、雨だったり、雪だったり、快晴だったり、冬だったり、夏だったり…。

特に何がある訳でも無いのですが、空を見上げるだけで「人生は面白い。この先何が起こるか、どんな人と出会えるか楽しみ。」と気持ちが切り替わり、自然に笑えてくるのです。

 

突然何か閃いたり、夢に見た事や心に浮かんだ事が実現したり、目に見えないものの気配を感じたり、氣を感じたり、生命のオーラを見たり。そう言う事は私には全くありません。

身近な人からそういう話を聞くと、大変だろうなと思う反面、凄く羨ましくもなります。

 

せっかちな私は直ぐに結果が見えないと不安になります。楽しい事や幸せな事があっても、何だか申し訳なくて、それを素直に喜んだり楽しんだりしちゃいけない気がしていました。

でも最近やっと、嬉しいことは嬉しい。楽しいことは楽しい。とその時の気持ちを素直に喜んで今を大切にする事が分かってきました。

 

新しい事が始まる朝、空を見たら大きな虹がかかっていました。

とても近くで、色もはっきりしていて、太くて、大きくて、息をするのを忘れるほど綺麗でした。

良い前兆だと嬉しくなりました。パタゴニアの自然が私を祝福してくれた気がしました。

 

今いる。ここにいる。私がいる。

それだけの事を、虹を見ながら奇跡のように感じていました。

 

強風で屋根の一部が吹っ飛んでしまいました。こんな強風は何年振りでしょう。

恒例の停電になりましたが、数時間で復旧しました。

移住当初は早くても半日、ともすれば数日は復旧しなかった事を思うと、

おお~凄い!アルゼンチンも進歩したじゃん!と感動しました。

 

 

 

 

 

面白かった。ボルソンの町

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秋も深まり、毎朝霜が降りるようになりました。

一日中薪ストーブを焚いていますが、火の消えた明け方は室内でもぐっと気温が下がります。

朝は4時から豆腐作りを始めますが、明け方と言うより、まだ夜中の雰囲気です。

厳しい冬も間近です。

 

先日少し時間があったので、観光客の居なくなった静かな町を歩いてみました。

大きな木があり、個性的な家があり、いろんな花がいろんな所で植えられていて、山が見え、クルミやリンゴなど実のなる街路樹があって、観光地化されどんどん変わっていくボルソンですが、それでも私はとても好きです。

 

長く住んでいると、観光旅行のような感動や発見が無くなってきて、自分が全てに馴染んでいるような気がしていましたが、こうしてゆっくりと歩いてみると、まだまだ「ああ、ここは外国なんだなあ」と驚くような発見があって楽しかったです。

 

写真は歩道にあったベンチです。

丸太を利用して作ってありましたが、手と足と目とトカゲとよく分からない小さな動物がいて、ギョッとして立ち止まってしまいました。落ち着いて座って休みたいとは思えませんでしたし、本来の木が持つ温もりが無くなっているように感じ、残念でした。

 

もう一つの写真は、輸入品店でワインを主に扱っていますが、スピリチュアル的な物(パワーストーン、各種線香、風水関係、陰陽等)も多く売っている店で見つけた物です。

多分、中に電球があってスイッチを入れると、仏陀が光るのではと思います。

まあ可愛いと言えないこともありませんが、正直誰かに貰っても素直に喜べない、部屋に飾りたいと思えません。

売っていたのが、おもちゃ屋とか子供や若い子向けのお店ではなく、高級輸入品を扱うお店だったので、非常に違和感を感じてしまいました。

 

わたしは、25年前の日本が時間を止めてそのまま私の中に残っている古い日本人だからでしょうか「あれ?なんか感覚違うな!」「東洋の神秘的な事を狙ったんだろうけど、これ東洋じゃないよな!」と思う事が時々あります。

ただそれだからって、目くじら立てて否定する気もありません。感性や感覚は住んでいる場所、気候、政治経済、植生、環境、歴史などで、大きく変わってくるからです。

 

アルゼンチンはアルゼンチンらしく。

パタゴニアパタゴニアらしく。

日本は日本らしく。

そして私は私らしく。

感じるまま、素直な気持ちでいれば良いんだと思います。

 

 

 

小さかった。サフランの花。

子供の頃から、大食いで甘いもの大好きでしたが、食に興味はありませんでした。

外食にはよく連れて行ってもらいましたが、ファミリーレストランや大衆食堂で、食材や調理法に凝ったお店には行ったことがありませんでした。

メニューから料理を選ぶ事が出来ず、興味もなく、注文するものは必ず「五目ごはん」でした。

高度成長期の核家族で育ち、山菜を取ったり、川で遊んだり、自然の中で体を動かしたり、感性を磨いたりする事もありませんでした。インスタント食品、冷凍食品が大好きでした。典型的長女気質の姉がいたので、台所を手伝う事もありませんでした。

今考えると、母も張り合いが無く、つまらなかったでしょう。

ですからパタゴニアへ来ても、懐かしい日本食、故郷の味が無く、食で困る事はありませんでした。味噌や豆腐を作ったり、うどんを打ったり、寿司やてんぷらをここにある材料で自分なりに大雑把に作って、それで大自己満足していました。

ですから、当然自然調味料(生姜やわさびや紫蘇や…)にも関心が無く、ハーブに至っては使い方も、名前も知りませんでした。

 

数年前から持病の関係で、菜食の食事療法を始めました。乳製品も卵も動物性タンパク質は取っていません。それで益々料理や調味料から遠ざかってしまいました。

 

先日町の友人の家に行ったら、台所いっぱい使って、サフランの雌しべを乾かしていました。

サフランは山吹色の粉になって売っているのを見たことがありましたが、花は見たことがありませんでした。

ピンセットで花から雌しべを抜き、それを紙に上に並べて、網を置いたコンロの上で根気よく乾かす作業でした。

紫色の花が山済みで、サラダにして食べられるというので貰ってきましたが、正直美味しいものではありませんでした。

サフランがどんな植物なのか興味があって、畑に案内してもらいました。

想像と違って20cmの高さもなく、とても小さく、この花を収穫するのは大変だなあ、サフランが高い訳だと感じました。

 

以前、我が家に来たアルゼンチン人の奥さんが、テーブルにあったブエノスの友人が送ってくれた生姜を見て、「これ何の球根?」と聞いてきました。その頃はまだ生姜がエルボルソンで今ほど売られていなかったので仕方ないのかもしれませんが、(へ~、生姜も知らないんだ!)と驚きました。

でもサフランの花を見て、これがそうか…と驚いた私は、スペイン人から見たら、(そんな事も知らないんだ!)と思われるでしょう。

 

知らない事は恥ずかしいことでも何でもありません。世界には私の知らない事があふれています。自分の生活に関係なくても、ちょっと周りに気を払うだけで、興味を持って観察するだけで、いろんな事が私に飛び込んできます。

素直な心で周りの事を吸収していかなきゃと反省しました。

 

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感激だった。プロの技

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私は旅行をしません。

家を空けるのが心配という事もありますし、体力的にしんどい事もありますし、知らない場所への好奇心より不安の方が強いですし、食べることは好きですが、料理に関心がありませんし、建築や芸術品への造詣がありませんし、経済的なゆとりも心のゆとりもありませんし、人見知りですし、臆病ですし…。

理由を挙げるときりがありませんが、一番の理由は、一緒にいる猫と犬達が好きで離れたく無い事と、ここにいるとホッと落ち着くからです。

だから私のブログを読んで連絡をくれて、更には「会えませんか?」など言ってきてくれる方がいると、何処へも行かないのに、未知の場所が私に近づいて来てくれるようなワクワクした気持ちになります。

 

3月の終わりにイギリスからアルゼンチンを訪れたご夫婦から連絡を頂きました。

「お会して、お茶でも飲みながらお話しできたら」と仰るのを、是非我が家でお昼をご一緒にと強引にお誘いしました。住所を教えて頂ければ、レンタカーで伺いますといわれましたが、番地もない我が家に初めての人が辿り着くのは至難の技です。

エルボルソンの町に宿をとっておられたので、朝私がお迎えに行き、近郊を少し案内しながら我が家に行きました。

日本人の奥様は翻訳業、イギリス人の旦那様は切り絵のプロでした。

www.roving-artist.com

 

 

旦那様は結婚式やパーティーに引っ張りだこで、今回はまとまった休みが取れた貴重な旅行でした。

短い時間で案内できるエルボルソンの名所?を本当に久しぶりに行きましたが、全て入場料を取られ、立ち入り禁止場所も増え、手すりやベンチが出来、何処にでもある鄙びた観光地になっていて、私の知っていた手付かずの自然、のどかな田舎町のボルソンはもうありませんでした。

都会から休暇で訪れる観光客には、安全でそれなりに楽しめるのかもしれませんが、私は残念でした。そしてもう観光案内はしたくないなと、思ってしまいました。

私の案内も道は間違える、地元のくせに穴場も知らないで、貴重な時間を無駄にさせてしまって申し訳なかったです。

 

ただ私は興味のあるお話をたくさん聞かせて頂き、楽しい時間を過ごせ、現在のボルソン事情も分かり、凄く得した気分になりました。

 

そして奥様自作のミニチュアを頂き、旦那様は私の横顔をあっという間に切ってくださいました。

プロの方に、似顔絵でも写真でも、私を見てもらった事もなかったので、緊張と嬉しさでドキドキでした。自分でも知らない私の横顔はこんな風に人の目に写っているんだなと不思議な気もしました。

 

今までの私は、自分の暮らす空間に人が入り込んでくるのが苦痛でした。うまく人と付き合おうと無理して、結局相手を疲れさせ、自分も落ち込んでいました。苦手な人も多くいました。後味の悪い思い、後悔もありました。それは自分の生活がこの先も変わらないで、ずっと続いていくと何処かで思っていて、自分に壁を作り、見栄を張っていたからでしょう。

移住して25年目。過ぎてしまったから思うのでしょうが、夢の様なあっという間の時間でした。そしてこの先の同じ長さの時間を考えたら終わりが見えてきて、自分がここでしておくべき事に気付きました。

あっという間に終わっちゃうなら、今まで自分が受けてきた恩や優しさ、思いやりを、残りの時間で返していかなきゃ、自分を閉ざす必要なんてないんだと思えました。

具体的に何をどうするかはまだ方法が全く分かりません。でも、自分の横顔を見ながら、こんな出会いを重ねていって、今度は自分だけじゃなく、出会った人たちにも自分の感じた感動を渡してあげられたらいいなと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

贅沢だった。私の暮らし

日本へ帰国する時、一生に一度くらい贅沢してビジネスクラスで帰ろう!と思いました。

今回の日本帰国は、お世話になった方々に直接会ってお礼をしたかったので、ほとんど毎日移動の予定でした。ですから日本へ着く前に体調を崩してしまっては、元も子もありません。

そうそう日本帰国の機会があるわけでは無いし、一度くらいならビジネスクラスで旅行出来る物を姉が遺してくれていました。

それで「よーし!ドケチで貧乏性の私を変えよう!」と一大決心して張り切って計画を立て始めました。

 

でも私は格安航空券のエコノミークラスで、日本アルゼンチン間を往復しました。

そしてそれで良かったと思っています。

 

荷物を持っての一人での移動や、飛行機の乗り換え、乗り換えの待ち時間。今の私の状態で不安がなかったわけではありません。でも不安は、起こってもいないことをあれこれ心配して悲観的に考えてしまう事だと思い直しました。不安は自信を無くします。私は自分を信じようと決めました。

するとビジネスクラスに乗る事が贅沢じゃ無いと気付きました。

私はエコノミークラスで旅行できるだけの体力も気力もある。エコノミークラスの旅行を楽しむことが出来る。その方が、ずっとずっと贅沢な事だと思いました。

 

飛行機が遅れて乗り換えが間に合いそうもなくハラハラしたり、言葉の通じない空港でドキドキしながら走り回ったり、座席の隣がおデブさんじゃなくってホッとしたり。

エルボルソンから首都のブエノスアイレスまで寝台バスで24時間。ブエノスアイレスから日本まで飛行機で合計約23時間、それに乗り換えや待ち時間を合わせると30時間。

決して短く無い時間でしたが、楽しく面白く元気に無事に過ごせた事を感謝しています。

 

自分の意思で動く体。伝わる言葉が言える口。

見える。聞こえる。話せる。歩ける。眠れる。息が出来る。噛める。飲み込める。消化できる。

トクトクと動く心臓を感じながら、生きている自分、パタゴニアで暮らしている自分を最高に贅沢だと思います。

 

 

 

 

 

 

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幸せだった。日本。

実は今、日本で書いています。

2週間の日本滞在でした。

今回は今までお世話になった日本の方々に出来るだけ会って、直接お礼が言いたかったのです。

友人の少ない私でも2週間では短すぎ、会えない方も沢山いました。

東京、横浜、日光、名古屋、三重、岐阜。荷物を持っての移動で、体力的にもきつかったですが、多少無理してでも、会いに行って良かったです。

日本訪問のきっかけは、とても信頼できる留守番の方がいて、安心して家を空け犬や猫達をお任せできた事です。これってアルゼンチンではとても大切な事なんです。

ただ、アルゼンチンでの私の収入源は固定給ではなく、休むとその間無収入。これはなかなか厳しい状況なので、往復の時間と合わせると3週間が今の状況では目一杯でした。

25年の移住生活で5回日本へ帰国しました。家族が揃っていて、実家でのんびり甘えて過ごせた時と、今では日本の感じ方が全く違いました。

今回の日本は失敗もしたけど、友人に助けられて乗り切る事ができ、ハラハラドキドキと、ワクワクウキウキが交差する充実した日々を過ごす事ができました。

今回は日本を旅行者として見ていました。

なんて綺麗な国。便利な国。親切な国。静かな国。安心できる国。信頼の国。

でももう私が住む場所じゃないと思いました。

私はパタゴニアの暮らしが、どんなに私らしく暮らせる場所か再認識しました。それは日本が嫌ということではなく、日本も大好きでもパタゴニアも大好きという事です。

 

今からアルゼンチンに向かいます。重い荷物を持っての成田までの移動や、飛行機での乗り換え移動は正直緊張しますが、日本で過ごした楽しい日々が体の中にいっぱい詰まっているので、元気にパタゴニアに帰ろうと思います。

 

写真はトイレに入ったら、とても日本らしいと感じ笑えました。

 

 

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複雑だった。街の信号機。

パタゴニアの田舎町エルボルソン。
今では田舎町とは言えない程、人口が増え、観光地、避暑地として有名になってしまいました。
以前ののどかな街の方が良かったですが、それでも私はエルボルソンが好きです。

人種差別がないとは言えませんが、この街には海外からの一世の移住者が多く、偏見が少ない気がします。
また雪国でもなく、氷点下が続き何処もかしこも凍ってしまう事も殆どありません。
虫が少なく無農薬野菜や果樹作りには最適です。(昆虫や野生動物が少なすぎるのは寂しいですが)
湿気がなく、真夏でも日陰や室内は快適です。
山、湖、河があり、風光明媚なところです。
街の中心でも大きな木があり、バラやラベンダーなどの花が野草の様に咲いています。
環境問題に意識の高い人が多く、他の街に比べポイ捨てゴミは少ないです。
少し高いですが、地元で取れた野菜の直売もあり、白菜やカブ、パクチョイ、大根など日本食向きの野菜が手に入ります。
自然食の店が5軒あり、味噌、豆腐、醤油、海苔、わさびなど、日本食材料を売っています。

税金が高くそれが納税者に還元されていない事、賄賂や横領が当たり前な事、不法滞在が増えている事、物価が高い事、乾燥で山火事が多い事、気温変化が激しい事…アラを探せばきりがありませんが、マイナスの気持ちをプラスに変えるだけの大好きが沢山あります。

そんな好きの中で、私が気に入っていたものに、「この街には信号機が無い」がありました。
住み始めた20年以上前は、舗装も街の中心道路だけでしたし、馬や牛車も歩いていました。
車も少なく、よく動くなあと驚く様なボロボロ車が殆どでした
大観光都市バリローチェからの舗装道路が開通してから、街はどんどん大きく広がり、変わっていき、夏の観光シーズンは人の横断もままならない位車が多くなりました。

事故も増えたのでしょう。今年から信号機が街の2箇所に付けられました。
こちらの信号機、停車線のすぐ上に付いていて、自分の進行方向の信号しか見えない様になっています。また赤から緑になる前にも黄色に変わります。道の幅が広げられなかったので、左折禁止(アルゼンチンは右側通行です)になりました。
日中は止まった車の前で、マラバリスタ(ボールや旗を使った曲芸師)がおこずかい稼ぎをしています。
街に信号機が出来始めた時、正直がっかりしました。信号機も無いのどかな街が自慢でした。

でも慣れてみると、運転時の曲がったり横断するタイミングのハラハラドキドキが減りました。横断者のいつ渡るかわからない危なっかしさが無くなりました。マラバリスタ達の逞しさを見るのも楽しみです。

本当は信号機の無い街に戻りたいですが、折角一生懸命働いてくれている信号機にありがとうと言って、良くなった事を沢山見つけて行こうと思います。


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