時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

私の不思議

天気の悪い7月です。最近はマイナスになる事も稀で割と暖かい日が続いています。けれども天気が良くなると、一気に気温が下がりどこもかしこもカチコチに凍ってしまいます。

天気が悪いこともあって、家の中にいる時間が増えました。新しい家は窓を大きく取ったので明るく、アンデスの山を見ることができます。薪ストーブの燃える暖かい部屋の出窓からただぼーっと外を見ています。

ぼーっと、と言っても、頭の中は取り留めのない事を思っています。

今自分がこうして人の優しさのいっぱい詰まった家に居る不思議。

あの山の向こうはもうチリ。南米パタゴニアに住んでいるんだなあと言う不思議。

元気なばあちゃんになると思っていたのに難病を発症してしまったと言う不思議。

大好きだった農場が燃えてしまったと言う不思議。

沢山の人が私を認め支えてくれていると言う不思議。

自分の存在がとても不思議で、今と言う時がとても貴重に思えます。

先日の午後。家の掃除を済ませ、ほっと窓の外を見ました。飛行機雲が一直線に横切っていました。飛行機雲は時々見ます。チタンを撒いているんだという噂もあります。それはさておき、視界一面伸びているので、あれ?とよく見てみると、上と下の空の色が違います。 あれ?あれ?あれ〜?

そしてそれが飛行機雲ではなく、雲が昇って来ているんだと気付きました。不思議な風景でした。 

綺麗で見ているのが楽しかったです。

ずっとなにかに追われるみたいに、動き回らなければ落ち着かなかったけれど、こうしてただぼーっと外を見るのも良いもんだなと思いました。

この世界は不思議が一杯。1番の不思議は私が今ここに居ること。今を大切に大切にしたいと心の底から思います。

 

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パタゴニア暖房支援政策

パタゴニアはやっと冬らしく寒くなってきました。とは言っても、マイナス5℃から7℃位、特別寒いなあと感じる日でもマイナス10℃位ですから、酷寒地とは思いません。

けれども4月から9月の半年はストーブが欠かせません。エルボルソンや近郊の街では天然ガスの普及も進んできましたが、私の住んでいるマジン地区では薪ストーブが主役です。

以前から州の暖房支援政策があることは知っていましたが、割りと厳しい基準があり、又移住者の私には無縁の事だと思っていました。

今年秋、友人が一応登録だけでもしてみたらと、登録場所などの情報をくれました。正直今はどんな援助でも有難いので、当日国民証のコピーを持って会場、地区の小学校へ行ってみました。既に多くの人が来ており、1時間以上待ちました。登録自体は簡単でしたが、審査に受かるかどうかはその場では分かりません。1ヶ月後に連絡するからと言われました。

1ヶ月半過ぎて忘れかけた火曜日、いきなり木曜日に9:30から配達を始めます。国民証を必ず提示するようにというメールが来ました。その日は前から予約していたどうしても外せない用事があり、日にちを変えてくれるようメールしましたが返事はありません。親しい隣人に代わりに受け取ってもらおうかと相談に行き、そこで私は援助の厳しさを思い知らされました。

支援は薪1立方メートルかプロパンガス10kg。家に来た係りの人からどちらかのクーポン券を貰い、都合のいい時に指定場所に受け取りに行くんだと思っていました。

ところが、受け取りは村の幹線道路まで出向かなければならず(家から車で10分くらいの所)時間も未定。9時半から配達を始めるけど、ルート不明。つまり寒空の下、運が悪いと何時間も待たなくてはいけないのです。しかもプロパンガス希望の場合、空のガスボンバを持参しなければいけないと知ってぶっ飛びました。そんな都合よく空のボンバがあるわけ無いです。

そんな事代理の人に頼めるわけもなく、例え自分に用事がなくても行く気はしませんでした。

「知らなかった」と驚く私に、「そんなの常識。ずっとこのシステムだよ。」と言われました。

援助基準を満たした私は困窮者の部類に入るのですが、あっさり援助を諦めたので、ある意味偽困窮者、根性無しなのかもしれません。

それにしても、登録に来ていた人達はこの条件を知っていて、それでも1時間待ってでも登録したのだから、凄い根性あるなあと感心しました。

援助を受け取らなかったので、来年以降もう権利が無くなると言われましたが、例え権利があってももう結構です。ありがとう。自分で頑張って生きていきます。と思いました。

と言うわけで、引退していた日本語教室を町で再開することにしました。

絶対に生きる事を諦めません。

 

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温かいエネルギーに包まれて

2026年も折り返しです。待望の雨が降り、気温はぐっと下がりましたが、例年に比べ暖冬は変わりません。

新しい家は、物もどこに何があるか決まってきて、暮らしにもリズムが出来、ああ、ここで新しい暮らしが始まったんだと毎日感激しています。薪ストーブの前で、マテ茶を飲みながら揺れる炎を見ていると、私は此処で生きているんだなあと、不思議な、それでも温かい気持になります。

多くの人に支えられながらも、私もよく頑張ったよと、自分を褒めています。 台所と寝る場所は確保でき整ってきたので、今、住宅部分の改造を始めています。

病気の進行で前後の動き、特に重心がずれる下りが出来にくくなっているので、中2階の寝室に行く階段を外し梯子に変えてもらいました。

毎週集まってくれる友人達が、ああでもないこうでもないと話し合いながら、最終的にがっちりはめ込んである重い階段を、チェンソーで半分に切って慎重に作業を進めました。誰も大工や解体の専門家ではありません。

梯子も全て手作りです。

凄い! 本当の意味で田舎で暮らすと言うことは、何でも自分でやっていく、こういう事なんだと感動しています。

彼女達といると、彼女達の観察力と工夫に驚き、作業の丁寧さに更に驚き感激します。 私は元気だった頃だって、先ず自分でやってみるということをしないで、いつも人に頼ってきました。そしてそれがある程度出来る貯金もありました。

火事に巻き込まれ、全てが燃えてしまって決して良かったとは思いません。でもマイナスになって初めて、気付いたり、手に入れた多くの事があります。両手に抱えきれない愛を受け取っています。それは掛け替えのない宝物です。

今では出来ないと思い込んで諦める前に、取り敢えずやってみようと挑戦します。出来ないときはどうやったら出来るかな?と色々考えます。

階段を昇り降りする度、私の手が傷つかないよう丁寧に紙ヤスリをかけ、ツルツルに研いてくれていた、あのシャッシャいう音と皆の荒い息つかいが蘇ります。

ここで生かさせてもらっていると感謝しています。

 

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始まり

5月も後半ですが、異常な程の暖かさです。流石に朝夜はストーブを焚きますが、友人が集まって作業してくれる日には外で昼食を取れるほどです。

雨がぷっつり降らなくなり山の雪も消えました。

マジンの農場に戻ってきました。引っ越す前は、最初の農場での夜は、感激と感慨で眠れないんじゃないかと思っていました。ところが、戻ってみると感慨よりも、これから先のやらなければいけないことの多さに、正直気が滅入ってしまいました。タンスも棚も無いので荷物は段ボールから出せず、何処に何が有るのかも分からない状態。流しは引き出しも扉もまだ出来ておらず剥き出しのまま。台所以外の場所は改造中で資材で足の踏み場もない状態。薪の準備、せめて歩ける程度にはしたい草刈り。目に入るのは燃えた真っ黒の豊かだった森、瓦礫の山…。

以前の様に元気で人を頼める経済力が有ればもう少し心にゆとりが持てたかもしれません。現実はちょっと重たいな、と感じてしまいました。

でも朝明るくなって犬たちと農場を散歩した時、

「ああ、帰って来たんだ。」と、しみじみ感じました。

よし、今の自分で出来る事を焦らずやっていこう。そう思うと明るくなれ、生き残った木や新しく芽吹いた植物、農場の全てに

「ただいま」と言う事が出来ました。

1人じゃないよ。いつも一緒だよそう言って1年以上経った今でも毎週集まって助けてくれる友人達がいます。

ゆっくり生きていこう。

今ここに居られる事を大切にしていこう。

感謝出来る暖かい人になろう。そうあらためて思いました。

 

ゆっくりゆっくり進んでいきます。

 

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4年半前、ボランティアとして我が家に来て、1年間一緒に過ごし、その後街で家を借り、仕事を見つけたけれど、週末は泊まりで手伝いに来てくれていた日系三世のシンティア。農場の仕事だけでなく受け入れボランティアの連絡や管理、ワークショップやイベントのコーディネート、インスタグラム作成や翻訳など、あらゆる事を完璧にこなしてくれていました。

特に火事以降、ただオロオロするだけの私に代わって、情報を集め面倒な手続きを全て引き受け助けてくれました。彼女を通して出来たかけがえの無い友人もいます。頼り切るのが当たり前みたいになっていたけれど、英語と日本語で出来る仕事がしたい、日本で働いてみたいと就労ビザを取得し、5月末に日本へ旅立ちます。

寂しい気持ちもあるけれど、自分の新しい道を見つけて行動を始めた彼女を応援する気持ちの方がずっと大きいです。

そんな彼女が最後にインスタグラムに投稿してくれました。それを読んで、最初に恥ずかしいと思いました。私はそんな風に書いてもらえる人間じゃないと。

でもその夜ぱっと気付いたのです。

よく他人は自分を映す鏡だと言います。以前の私ならその言葉に頷けます。でも今は私の周りは無償の愛を持った多くの人が支え助けてくれています。私が人の鏡に映っているのではなく、私の持った鏡にその人自身が映っているんだと。

以前私を、常識がない、感謝の気持を持ってない、果は臭いとまで言っていた人がいます。自分に対する自信がどんどん無くなっていきました。その人が去って何年も経つのに、時々思い出して悔しい情けない気持ちになっていました。でもそれは私の鏡に映ったその人自身だと思ったら

正しくその通り!

あんたは文句ばっかりで感謝がなかった。見栄っ張りで自分の常識が全て正しいと思っていた。確かに臭かった。と可笑しくなって声を上げて笑い、気持ちがすうっと軽くなっていきました。

人はいくつになっても、新しい出会いや気づきがあり、選択して行く道が大きく開け、未来がどんどん変わっていくんだと実感します。

明日引越しします。新しい暮らしの始まりです。

 

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残したいもの

予定より大幅に時間が掛かってしまったけれど、あと少しで引っ越し出来そうです。居住場所は倉庫状態ですが、豆腐を作れる台所と、これからの寒さを凌げるストーブ が出来れば何とかなります。ああ、ここまで来たんだと言う感慨と助けてくれた多くの人たちへの感謝で、胸がいっぱいです。

そんな中、悲しいニュースが飛び込んで来ました。

ガブリエルが水難事故で亡くなったと。

彼とは深い付き合いはありませんでした。棟梁のマルティンの友人で、人手が足りない時、応援で3回来てくれました。アルゼンチン人には珍しく寡黙で、表情もあまり変わらず、どちらかと言うと、取っつきにくいタイプでした。

最後に来てくれたのは暑い日で、天井張りのきつい仕事でした。10歳前後の女の子と男の子、2人の子供も一緒でした。その子達は騒ぐことも無く、寄ってくるでもなく、2人で静かに遊んでいました。

お昼ゴハンは野菜と豆類いっぱいの味噌スープが主で、子供の喜びそうなハンバーガーやフライポテトはありません。近くにお店もありません。「仕方ないや」と子供たちに特別ご機嫌を取ることもせずにいました。

夕方ガブリエルが近づいてきて

「悪いけど子供が居るので、暗くなる前に帰らせてもらう」

と言ってきました。

「ありがとう」と伝えると

「こちらこそ、美味しい昼ごはんをありがとう。うちの子は日本食、特に味噌が大好きなんだよ。美味しいって喜んでいたよ」と、予想外の言葉を貰いました。

子どもたちを見ると、はにかんでほほ笑んでいました。

それが彼と言葉を交わした最後になりました。

ガブリエルが亡くなったと聞いて、想像もできない突然のことに、言葉を失いました。

そして直ぐに心に浮かんできたのは子どもたちのはにかんだ笑顔と優しく温かい彼の「ありがとう」の言葉でした。

たとえ出会いが一瞬の事であっても、その人の心に残るような温かい気持ちを残したい。そう強く思いました。

ガブリエル、大切な事を教えてくれてありがとう。何時迄も忘れません。安らかに眠って下さい。

そして子どもたちが強く、これから平和に過ごしていけることを祈り続けます。

 

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みみかき考

あれよあれよという間に4月です。夏の終わりと言うより、いよいよ厳しい冬の始まりと気が引き締まるパタゴニアの秋です。

日毎、時間毎に木々が紅葉、黄葉していきます。

4月までには引越し出来ると思っていましたが、未だに街で避難生活しています。でも一軒家を提供してもらって、犬たちと気ままに暮らせているので、避難生活と言うのは間違いかもしれません。

農場の家には電気が付き、隙間だらけですが屋根も壁も窓もありストーブさえつけば引っ越すつもりです。そして暮らしながら少しずつ生活を整えて行きます。

 

ところで、以前は日本は高くて遠いから行きたくても簡単には行けないと思われていましたが、今は安い、安全、綺麗、美味しいと人気の旅行先になりました。

私の周りでも行って来ましたという人が増えました。

そして親友が日本旅行するのを期に日本の友人が私に何かお土産を持っていって貰おうと言ってくれました。

そこで好意に甘えずっと欲しかった、ここでは手に入らない(耳かき)をお願いしました。

かさばらないし、コンビニなんかで簡単に手にはいるものだし、何よりも全てが焼けてしまった火事以降、耳掃除がしたくても出来ないもどかしさから解放されるのが楽しみでした。

それが先日私の元に届きました。

開けてビックリ。天然煤竹を使った匠の技の高級品が届いたのです 

早速使ってみました。

くすぐったいような感触。カサコソ耳の中で囁く乾いた音。

あゝ気持ちいい!

そして耳の中でこそっ、と剥がれるような感覚があり、耳かきを耳から出してみると、見事な耳く◯が一緒に出てきました。

感動しちゃいました。流石、匠の技。

 

アルゼンチンでは耳かきは私の知る限り売っていません。それでアルゼンチン人の友人にどうやって掃除しているのか聞いてみました。掃除しないという人、髪留めのプラスチックを壊してそれを工夫して使っている人。

おそらく身近にある物を利用して自分で作っているのでしょう。

子供の頃から耳掃除は耳かきと当たり前に思ってきたけど、そうじゃないんだと気付きました。

だからスマホやウォッシュレットが当たり前の若者がバイオトイレ

や電波の届かないの無い暮らしを想像できないのも理解出来ました。

そしてアルゼンチン生活が人生の半分を占めるのに、アルゼンチン人の様にある物を工夫し作り出す事より、買って手に入れよう、無いなら諦めようとする軟弱な自分を反省しました。

 

写真は、友人が焼け跡から見つけ綺麗に生まれ変わらせてくれた日本から一緒に移住したこま犬です。

 

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