時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

アルゼンチン革命記念日に食べる伝統料理

5月25日

この日はアルゼンチンの革命記念日。祝日です。1810年ラプラタ副王領の一帯がスペインから独立しようと宣言した日で、7月9日の独立記念日に続きます。

そして冬が始まるこの季節だからか、アルゼンチン料理ロクロを食べる習慣があります。

これは白いロクロ用のトウモロコシ、豆類、かぼちゃを肉やアルゼンチンソーセジ(チョリソ)と煮込むシチューです。煮込み料理ですから、大鍋で大量に作るとますます味が出て美味しくなります。ですから祝日のこの日、各地で、広場や体育館などの広い場所で大鍋でロクロを作り、売っています。一度だけ街に住む友人がこの日昼食に招待してくれ、広場に器を持ってこのロクロを買いに行きました。

アルゼンチンにはあまり郷土料理はありません。アルゼンチンの代表料理って何?と聞くと、一番に炭焼き焼肉アサードという答えが返ってきます。

それからエンパナーダ。これは大型なパイで、中にはひき肉とかチーズとハムとか、各種野菜の具が入っています。地方によって多少具の違いはありますが、全国ほとんど変わりありません。

そのほか、牛の骨の髄で野菜を煮込むギソ、トウモロコシ粉で作るポレンタなどがあります。

私は動物性タンパク質は食べませんから、牛肉文化の伝統的なアルゼンチン料理は食べられませんが、最近ではどこへ行っても、どんな小さなお店でも、ベジタリアンメニューはありますし、卵も乳製品も食べないベーガンメニューも増えました。肉食の国アルゼンチンでこの流れは凄いことだと思います。

中には考えが硬すぎと思う人もいますが、動物愛護や環境問題からの畜産業、海洋業への問題提起から、私はこの傾向を歓迎しています。

 

ロクロは私が一番好きなアルゼンチンの料理ですが、自分1人では作る事はありませんでした。

それで25日に食べる伝統の事もすっかり忘れていました。

 

今年は夏に来たボランティアの1人、日系三世の女性をずっと受け入れています。カナダ留学を機に価値観が変わり、高給の仕事を辞め自然の中で自分らしい生き方を探したいと我が家のやってきました。彼女は日本語が話せ、時間に正確、真面目で働き者で、人に対する気配りがあり、犬が大好きで私と同じベーガンで長期同じ家にいても全く疲れません。

その彼女が25日にロクロを食べましょうと提案してくれました。

ああそうか…アルゼンチンの文化習慣だったじゃない、数少ない季節行事だったじゃない、と思い出しました。

火曜日の彼女の調理当番を25日水曜日に変更してベーガンロクロを食べました。

 

来春から彼女と彼女のいとこの男性と一緒に、農場プロジェクトを始めます。これは自然の中で暮らす楽しみを共有するプロジェクトです。題して「ありがとう農場プロジェクト」です。

初年度はボランティアと共に、バイオトイレ、排水浄化システム、宿泊施設の増築、パン焼窯、自家堆肥だけの無農薬畑などを作り、次年度からは味噌や豆腐、日本食の講習会、焼き物教室、餅つきなどの日本文化交流会を企画して体験農場の様な形で人を受け入れていこうと計画しています。コミュニティーの様な形にすると、何年か後には必ず問題が起こり上手くいかなくなるので、あくまで私が主体で、私の農場を解放していく形にします。そして近い将来、私の夢を引き継ぎ、大きくしていってくれる後継者に手渡していこうと思っています。

 

まだ計画だけでどうなるか分かりませんが、一歩踏み出さない限り、何も学べないし何も始まりません。

30年以上私を縛ってきた、「私は1人では何もできない」「人から好かれない」「常識も気配りもない」という思いから、今少しづつ解放されています。

そう私は1人では何もできないから、できる人に素直にお願いして助けてもらう。人から好かれなくても、人を好きになろう、少なくとも相手の粗探しはやめよう。常識の枠が当てはまらないなら、私にあった常識の世界に移ろうと気持ちが切り替わりました。

 

歳だから仕方ない。持病だから仕方ない。と言い訳するのもやめました。

「最近どう?」と聞かれたら、「絶好調」と答えようと思います。

発病当初、尊敬するお医者様から「心は体を支配できるから」言って頂いた言葉を大切にして、進んでいこうと決めました。

ロクロとえんどう豆粉のチャパティ