私の住む所から約50km南にエプジェンと言う小さな町があります。
ここら辺で唯一、夏の水温が割と高く泳げる湖があります。
もう30年近く昔のお話。
パタゴニアに来て焼き物を始めて、なんとか収入を得る手段を見つけようと焼いた作品をボルソンの町の青空広場の定期市で売り始めました。
100以上の出店がある中で、お土産には重い焼き物はなかなか売れませんでした。週3日、一日中夏の野外で頑張っても何とかガソリン代と場所代が出るだけの日が殆どでしたが、月に1回か2回は持って行った作品の半分が売れる事があり、それが嬉しくて続けていました。
その当時チョリと言う名の犬を飼っていて、チョリをモデルにしたお線香立てやチョリをかざりつけた植木鉢やコップを作っていました。
「可愛い」と話しかけてくれた人も多く、「私の愛犬がモデル。チョリっていう名前なの。」と話しをするのですが、買ってくれる人は殆どいませんでした。
その時も、ひとりの年配の女性が話しかけてくれて、いつも通り「じゃありがとう」と別れました。ところが数時間後、急に「チョリはどこ?チョリはどこ?」とわたしの店に近づいてくる人がいて、「ああ良かった。まだ居る」とチョリのお線香立てを手に取りました。
さっきの彼女が、息子夫婦を連れて戻って来てくれたのです。
芸術家の彼らが、私の作品をとても気に入ってくれ、是非窯や工房を見せて欲しいとその日のうちに我が家にやって来ました。それが私とスサーナ、サンティアゴ、ロミナとの出会いでした。
スサーナは私より10年上、息子夫婦は15年下でしたが、どちらとも友人として楽しく付き合えました。
彼らが住んでいたのが冒頭のエプジェンという町でした。エルボルソンはリオネグロ州、エプジェンはチュブト州です。
ここでは各町によって税金が変わります。特に車税は雲泥の差があって、ボルソンは特に高額でした。サンティアゴは私が経済的に厳しい事を知っていて、今の車を買った時、それなら形だけでもエプジェンに住所変更してエプジェン市民として車税払えば良いと提案してくれました。
今はもう規制が厳しく無理ですが、あの当時は住所さえあればまだそれが出来ました。
そして自分の住所を何のためらいもなく貸してくれ、それどころか、時間のかかる役所仕事の変更手続きにも付き合ってくれました。
お陰で18年間ずっとボルソンの十分の1の税金で済みました。年に一回2月にエプジェンの役場に行って一年分の税金を納め、その後彼らの家へ行くのが私の年行事の一つでした。
今年、愛車のエディちゃん(私がつけた名前です)が二十歳を迎え、税金を納めなくても良い年になりました。この国では古い車は無税になるのです。
年々車の運転が億劫になって、反射神経も鈍り、視力低下も著しく、たった50kmのエプジェンへの山道がきつくなっていたのでホッとしました。そしてもう余程のことがない限り、この町に来ることはないと感じました。だから役場からは少し離れた湖へお別れとお礼に行ってきました。
何十回も来た場所です。周りは売店やキャンプ場、駐車場が整備されて大きく変わりましたが、湖は何も変わっていません。
湖面を見つめながら、いろんな思い出がくるくる私の頭と心を駆け巡りました。私がこの世界から消えても、この場所に立って、こうして湖面を見つめる人がいるんだろうな。
その人はどんな思いなんだろう?その時世界はどうなっているんだろう?
私は初めてここへ来た時には想像も出来なかった今の自分でいる事にとても幸福を感じています。支えてくれる人が居たから、今私は自分の足で立っていられると感謝しています。
風に波打つ湖面をみながら
時は流れるんだ。と当たり前のことを強く感じました。