時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

立ち止まらずに、進め 進め 進め〜!

雪と雨の多い冬です。

太陽を殆ど拝めません。

静かだなあと思って外をみると、しんしんと雪が降っています。

みるみる積って周りを白い世界に変えていく雪を、今年は静かな気持ちで眺めています。それは日本語教室を今年いっぱいは休講に決めたからです。私は怖いので雪道を運転しません。

でも私の住むマジン地区と、生徒さんが住むボルソン地区、ラゴプエロ地区では標高が違い、こちらが雪でもあちらは雨の時が多く、休講の連絡が取れずに今までは何時もヤキモキしていました。

日本なら電話がありますが、我が家にはそんな高度なものは無く、天気が悪いとwifiも使えないのです。

「どうしよう。いつ止むんだろう?。雪道運転できるかなあ。困ったな。」

でも連絡が取れずヤキモキするなんて、今の日本じゃ経験出来ない貴重な気持ちだったと気づき愛おしくなりました。

雪の重みで道を塞いだ枝や木の整理や、凍って詰まらないよう水回りの確認、電線の確認などが有り正直大変ですが、こんな事も後何回経験できるんだろう?と思うと貴重な時間に思えますし、普通私の歳じゃこんな事しないよね。私って凄い。と動ける自分に感謝したくなります。

暮らす事は生きる事。生きる事は楽しむ事。楽しむ事は感謝する事。そんな風に思える今がとても好きです。

2月から突然、本当に突然変わってしまった世界ですが、最初は戸惑い不安もありましたが、半年近く過ぎ、そんな世界にも慣れてきたように思います。

特に私の住む地区は感染者ゼロ。中心的ボルソン地区も3月に3人の陽性者が出ただけで、しかもそれがヨーロッパへ休暇に行った市長と隣町から来た警察官という感染経路がはっきりしていた人で、ネットもテレビも見ない人が多いので、情報からのコロナの恐怖は私を含め殆どの人が持っていないと思います。

でも生活は激変しました。隣の州へは未だに許可なしではいけません。お店も人数制限は続いています。マスク着用は義務です。観光地でありながら、スキー場もレストランもクラフト市も人が集まる場所は閉鎖です。学校も休講が8ヶ月続いています。 

私は幸い豆腐と味噌が売れ、どうにか生活できていますが、音楽や絵画、演劇など観光客相手に生活していた人たちは大変そうです。でもアルゼンチンの良いところは、本当に貧しい人には優しいと言う事です。電気も水道もガスも家賃も払えなくても止められたり追い出される事はありません。炊き出しもあります。

日本人と違い「助けて」と言うことに、抵抗ある人は殆どいません。どちらかと言うと「助けろ!」的で、持っている人から奪うのが権利みたいな所もあり、ちょっと困りますが。

それにみんな逞しいです。

寒い中、信号待ちの車の前で芸をする若者。パンやお菓子、惣菜を作って一軒一軒売り歩く主婦。柵直し、雪掻き、薪集め、出来る事を提供して稼ぐ男性。

大きな事は出来なくても、小さな事を大切にしていけば、それはとても強く広く繋がっていくのだと分かりました。

私の生活もこのコロナ禍で少し変化したように思います。それはほんの少しだけですが、新しい友人や知人が出来、外に向かって気持ちを開いた事です。

人付き合いが苦手で、賑やかな事も自分の興味のない事も嫌いで、今までは誕生会や食事に招待されると、(困ったな。ただ単に社交辞令で声をかけてもらっただけなんだし、どうやって断ろう。)と真っ先に考えていました。

でも今は、例えそうであっても、誘ってもらえた事を感謝します。そして都合をつけて参加するようにします。相変わらず会話は苦手で居ずらいことも多いですが、それでも楽しもうと思っています。

先日も、友人の友人の友人がマジンの友人宅でミニコンサートを開きました。みんなで食べ物を持ち寄り、入り口に箱があって参加費はお気持ちで!と言う形式。(コロナ禍の三密を完全無視しちゃってますが)

個人宅なので大きく無かったのですが、それでも30人くらいが集まりました。みんな床に胡座をかいたり、寝そべったり想い想いの姿勢で聴き始めました。ギター一本の弾き語りコンサート。トークでみんなが大笑いすると、訳もわから無いのに可笑しくなり一緒に笑いました。

みんなが歌い踊り出すと、私も大きく手拍子足拍子をしました。(でもまだ一緒に踊るレベルまではいけませんでした)

出来る事をやっていこうよ。みんなで楽しもうよ。今を楽しもうよ。そんな気持ちが伝わってきました。

それは長い私の人生で一番欠けていた気持ちだったと、気づきました。

まだまだ自分で企画して人を集めてと言う事は出来ませんが、誘ってもらったら喜んで何にでも参加しよう。その時を楽しもうと思っています。

そして餅つき大会か、焼き物の穴窯焚きか、太鼓なんかの日本楽器や踊りができる人を招待してのミニコンサートか、何か私らしい、日本的な事をこの農場で企画実行してからこの世界を卒業していこうと決めました。(だからまだまだくたばる訳にはいきません!)

 

 

 

 

 

 

 

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ニコンサート

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我が家の雪景色