時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

面白かった。ボルソンの町

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秋も深まり、毎朝霜が降りるようになりました。

一日中薪ストーブを焚いていますが、火の消えた明け方は室内でもぐっと気温が下がります。

朝は4時から豆腐作りを始めますが、明け方と言うより、まだ夜中の雰囲気です。

厳しい冬も間近です。

 

先日少し時間があったので、観光客の居なくなった静かな町を歩いてみました。

大きな木があり、個性的な家があり、いろんな花がいろんな所で植えられていて、山が見え、クルミやリンゴなど実のなる街路樹があって、観光地化されどんどん変わっていくボルソンですが、それでも私はとても好きです。

 

長く住んでいると、観光旅行のような感動や発見が無くなってきて、自分が全てに馴染んでいるような気がしていましたが、こうしてゆっくりと歩いてみると、まだまだ「ああ、ここは外国なんだなあ」と驚くような発見があって楽しかったです。

 

写真は歩道にあったベンチです。

丸太を利用して作ってありましたが、手と足と目とトカゲとよく分からない小さな動物がいて、ギョッとして立ち止まってしまいました。落ち着いて座って休みたいとは思えませんでしたし、本来の木が持つ温もりが無くなっているように感じ、残念でした。

 

もう一つの写真は、輸入品店でワインを主に扱っていますが、スピリチュアル的な物(パワーストーン、各種線香、風水関係、陰陽等)も多く売っている店で見つけた物です。

多分、中に電球があってスイッチを入れると、仏陀が光るのではと思います。

まあ可愛いと言えないこともありませんが、正直誰かに貰っても素直に喜べない、部屋に飾りたいと思えません。

売っていたのが、おもちゃ屋とか子供や若い子向けのお店ではなく、高級輸入品を扱うお店だったので、非常に違和感を感じてしまいました。

 

わたしは、25年前の日本が時間を止めてそのまま私の中に残っている古い日本人だからでしょうか「あれ?なんか感覚違うな!」「東洋の神秘的な事を狙ったんだろうけど、これ東洋じゃないよな!」と思う事が時々あります。

ただそれだからって、目くじら立てて否定する気もありません。感性や感覚は住んでいる場所、気候、政治経済、植生、環境、歴史などで、大きく変わってくるからです。

 

アルゼンチンはアルゼンチンらしく。

パタゴニアパタゴニアらしく。

日本は日本らしく。

そして私は私らしく。

感じるまま、素直な気持ちでいれば良いんだと思います。