時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「ふみだす勇気」

つい最近まで、私にはどうしても出来ないことがありました。
それは一人で外食する事です。
家では一人で食事しているのに、何故か、レストランや喫茶店へ一人で入る勇気が、若い頃からずっとありませんでした。
一人で注文して一人で食べることが、とてつもなく寂しくて恥ずかしい事だと感じていました。ですから一人で出かけた時は、食事時になってもお腹が空いても、宿や家に帰るまで我慢していました。
パタゴニアに来てからは、それがもっと激しくなりました。
隣人達はお客様を歓迎する時は、自宅で手料理でホームパーティーをするのが普通でしたし、外食産業も日本や都会の様に充実していませんでした。ちょっと今日は外へ食べに行こうかと言う感覚そのものがありませんでした。
それに食事療法を始めて、植物の命は頂けても、視線の合う動物や魚、鳥などの命を頂くことにとても抵抗を感じる様になり、卵や乳製品も、その為に牛や鶏がどんな環境で過ごしているか知っているので食べられなくなり、肉食のアルゼンチンで注文できる料理がありませんでした。

先日車がパンクして修理に持って行きました。運悪く人が一杯で、長い待ち時間がありました。寒い日で外で待っているのが辛く、友人が以前教えてくれたベジタリアンレストランが歩いて行ける場所にあり、思い切って一人で入ることにしました。

レストランと言ってもこじんまりとした家庭的な雰囲気でしたが、先ずドアを開けることから緊張しました。そして入って、どこに座ろうかで戸惑いました。
座ってからも、何を頼もうかとドキドキしました。

幸いメニューは3種類だけで、乳製品や卵を使っていない「なすのかつ(milanesa de berenjena )セット」にしました。

通りから外れた住宅街にあるお店で静かだったことや、お客さんがゼロでは無いし、多過ぎもしない事で、落ち着いて食事する事が出来ました。
一人でレストランに入って食事をする、たったそれだけの事を、半世紀以上かかって出来るようになりました。そして贅沢だけど、こうした時間を持つのは決して無駄でも恥ずかしいことでも無いんだなあと思いました。

アルゼンチンには美味しいものが何も無いと言う人もいますが、私は種類は少なくても、味の好みが合わなくても、作ってくれた人や食材になってくれた命に、有り難い、嬉しいと感じ、美味しく頂こうと決めています。
でも正直言うとこのメニュー、超超薄味で、これに醤油でもかけたらもっと美味しいだろうなって思いましたが、それは人工調味料で育った私の舌が、素材の美味しさを感じる事が出来ないんだと思い直しました。

農場で犬達と過ごす時間は幸せです。しんどいと思う事はあっても、寂しいとは思いません。
でも時々は街でレストランや喫茶店に入って、私にとっての非日常的な時間を過ごすのもいいもんだなと感じました。それはとても贅沢な事ですが、今の私には、もしかすると凄く必要で大切な時間なのかもしれません。

今週の月曜日、前から気になっていた喫茶店へ思い切って入ってみたら、どうしているかなと気になっていた人に会え、来週家へ遊びに行く約束が出来ました。
人付き合いが下手で苦手ですが、「少しずつ外に向かって進んで行きなさい。応援しているから頑張りなさい。」と、何かの力が私の背中を押してくれた気がしました。