時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「やっと気付いた。一年で一番大切な感謝の日。」

私が移住したのは、こんなに物価も高くなく、人との繋がりも暖かく、時には鬱陶しいと思う位の助け合いのあったアルゼンチンの古き良き時代の最後の時期だった気がします。パタゴニアの田舎だった事も大きかったでしょう。お陰で、絶望して日本へ帰る事もなく此処へ根をおろせました。
アルゼンチンへ来て驚いたことは沢山ありますが、その一つに、大人になっても誕生会をする事がありました。私は子供の頃だって自分の誕生会をする事はありませんでした。ごく親しい友達と家族からプレゼントを貰って、ケーキを食べるくらいでした。
それが此処ではそんなに親しくなくても、誕生会に呼んで貰える事もありました。
人の集まる場所や賑やかな場所が苦手な私は、正直言ってそれが苦痛でした。どうしていい歳した大人がお誕生会なんかするんだろうと思っていました。ですから私は誕生会なんて一度もしませんでした。誕生日を聞かれても「年を数えるのはやめたから、忘れた。」と答えていました。
物価高で誕生会定番のアサード(アルゼンチン式焼肉)が高級料理になり、気軽に人を招待出来なくなった事や、私がお祭り騒ぎが苦手な事も皆んなにわかって、もう誕生会に呼ばれる事もなくなりました。誕生日は私の日常から離れた存在になっていました。
実は先週誕生日を迎えました。子供の頃は婆ちゃんの領域だった年齢に自分がなり、朝起きて不思議な感慨にふけりました。
その日は丁度日本語教室がある日で普段通り街に行きました。午前のクラスは女の子1人。彼女が「おはよ〜」と教室に入って来ると、いきなり「誕生日おめでとう」とスカーフをプレゼントしてくれました。きっとずーっと前の日付を学習する授業で、お互いの誕生日を言ったのを覚えていてくれたのでしょう。嬉しかったです。そして午後の家庭教師に行くと、そこでも生徒の女の子が「おめでとう」とカードと手作りの刺繍飾りをくれました。また子供教室でもカードをもらいました。 メールを開けると、私の尊敬するニュージーランド在住の先輩からは「両親に貰った最高のプレゼントの今日という日を感謝しましょう。おめでとう」のメッセージ。そして幼馴染からもおめでとうメッセージがありました。誕生日なんて…としらけていた私も、今年は自分の誕生日を素直に嬉しく思いました。そして少し前ですが、アルゼンチンで姪っ子のように愛しく思う女性が、長男の一歳の誕生日を 迎えた時に、「誕生日は 周りに人に感謝する日なんですね」と言った事を思い出しました。
誕生日は本当は祝ってもらう日じゃない。自分がこうして生まれて、生きて今年もその日を迎えられた。私を支えてくれた全ての人、全ての物に感謝する日なんだと分かりました。
だから此処では大人になっても皆んなに感謝する意味を込めて誕生会をしていたんだと思いました。こんなに簡単な、当たり前のことにやっと気付くなんて、私はなんて利己的で傲慢だったのでしょうか。
気付いたからと言って、来年から誕生会をして皆んなを招待するなんて事はしませんが、「また歳とった…。あーあ。」ではなく、「またこの日を迎えられた。ありがとう」と心を込めて全ての人に感謝しようと思います。