時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「アルゼンチンのアサード」

伝統料理、代表料理。
日本だったら「すし」「てんぷら」「すきやき」「うどん」「そば」「丼物」「懐石」「おでん」・・・。
それに加え郷土料理もあるし、海の幸山の幸に恵まれ、本当に食べる事作る事の好きな国民だと感じます。
さてここアルゼンチン。代表料理は?と聞くと殆どの人が「アサード」と答えるのではないかと思います。
アサードとは、炭焼きで肉(骨付き肉)をじっくり焼き上げる焼き肉料理です。
焼くのは殆どが牛肉ですが、ここパタゴニアでは羊やヤギになったりします。また前菜として血のソーセージ「モルシージャ」や大型ソーセージ「チョリソ」など焼きます。

実は私中学生のころから15年間菜食主義で肉はもちろん動物性のラードやゼラチンさえも食べられませんでした。ところが南米へ来た当初は、歓送別会とか、誕生会、クリスマス、新年会など、なにかしら人が集まると「アサード」でした。しかもパンやサラダがあってもそれに手を付ける人は僅か で、老若男女、兎に角お肉が大好き。食べる事食べる事。
その場の雰囲気にのまれ、気が付くと15年の菜食主義はどこへやら?アサードをむしゃむしゃ食べるようになっていました。そしてあの当時のお肉は 「美味しかった!!」。
初めてアサードを食べた時は、ついつい食べ過ぎ、翌日に熱が出て寝込みました。

広大な土地に肉牛を放牧飼育していて、人より肉牛の方が数が多いと言われたアルゼンチン。肉の値段も格別に安く、味付けは塩だけでワインを飲みな がらワイワイ騒ぎ、時間をかけて肉を焼いていくスタイルが、手の込んだ事や繊細な事が苦手のアルゼンチンにはぴったりの様な気がしました。

ところがここ数年、週末はアサードのこのアルゼンチンスタイルが変化してきています。それは肉の価格の高騰です。もちろんこの物価高は肉だけでは ありませんが、それにしても高すぎます。アサードはもう庶民の料理では無くなってしまった気がします。
加えて国を挙げての大豆栽培で、放牧地が大豆栽培に変わり、牛は放牧から配合飼料の舎飼いに変わって来て、肉の質も味もアサード向きでは無くなっ てきました。
誰も、もう滅多なことではアサードを招待なんて事はしません。もししても、価格の少し安い鶏に変わってきています。
我が家も以前は友達が来てくれる度にアサードをしてワインで乾杯をしていましたが、正直もう出来ません。困ったものです。

ただ私個人は数年前から肉を食べたいと思わなくなり、招待された時は何でも美味しく頂きますが、それ以外では菜食主義に戻っています。
こんなことを言うとお叱りを受けそうですが、アルゼンチンは歴史の新しい移民の国。先住民の伝統料理は殆ど残っていません。数少ない代表料理、自 慢料理のアサードが高根の花になってしまって、なんだか”情けないぞ〜”などと思ってしまいます。
ただアサードの焼き方は各家庭秘伝がありなかなかうるさく、かつ薪(炭)をふんだんに使い、薪を自給自足している私達としては、こんな薪の使い方をしている と伐採するだけで木の種も播かない、森も作ろうとしない癖にそのうち砂漠になるぞ!と思っていましたから、良い面もあるのかもと思っても居ます。それにアルゼンチン人気質(こ こでは詳しく書きません)が、肉食が減れば少しは穏やかになるかなあ?と淡い期待もあるのですが。

写真は友人の70歳の誕生会に招待された時、息子さんが焼いたアサードです。
骨付き肉の奥に、モルシージャとチョリソがあります。
また彼は焼いている時新聞紙を肉の上にかぶせています。
友人宅には室内にアサード用の場所があります。
もしアサードを招待して頂いたら、それは今のアルゼンチンでは「大歓迎」の意味も含みます。お礼に高級ワインやアルゼンチン人の大好きな甘い甘い ケーキでも買って持って行って下さいね。