時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「転んじゃった。アハハハ」

もう迷惑をかける人も居ないはずなので書こうと思います。
脊髄小脳変性症
私の病気です。
発病して5年くらい経ちます。視点が合わず、視界がぐるぐる回る様になり、上を向いたり、急に顔の向きを変えると吐き気がする様になりました。視点が定まらないので真っ直ぐ歩く事や走ったりが怖くて出来なくなりました。
その時は更年期障害だと思い込もうとしていました。自分が脊髄小脳変性症だとは考えたくありませんでした。でも私がその病気を発病する確率は高かったのです。
進行はゆっくりでしたが、3年くらい前には階段を下りる時に震えてしまう様になっていました。その時期、夫との間に溝が出来、それがどんどん広がっていました。夫が日本へ帰国し、連絡も途絶えがちになっていました。人前では平気な顔をしていましたが、気持ちは落ち込んでいました。そんな時、とうとう坂道で足がもつれ転んでしまったのです。難病指定され治療法のない病気だと言われていますから、病院へ行く気も薬を飲む気もありませんでしたし、自分は悪化しないと思っていましたが、転んだ時はとうとう来たか…と、不安と恐怖が襲ってきました。
そんな時、姉から一冊の本が送られて来たのです。
森美智代著 「食べる事をやめました」
題を見て、どうしてこんなダイエット本を送ってきたのか不思議でしたが、読み始めると世界観が変わっていきました。それは私と同じ病気で、一時は歩けなくなるまで悪化した著者が、病気を克服し社会復帰を果たした経過を書いた本でした。
彼女は故甲田光雄先生の治療、断食と西式健康法で健康を取り戻していったのです。
これだ!
気持ちが落ち込んでいて食欲が無く、図らずしも少食、断食を実行している様な状態でしたから、本に説明のあった西式体操を早速毎朝実行しました。
でもそれよりも私を勇気づけてくれたのが、彼女の言葉でした。それはいよいよ歩行が困難になって、よく転ぶ様になった時、周りを心配させない様、悲しませない様に、彼女は転ぶ度「転んじゃった。アハハハ」と笑ったのです。自分が苦しんでいる事を伝え悲しませるよりも、笑って明るき空気に変えていった方がずっと良いと言ったのです。
私に一番足りない気持ちでした。
笑おう。素直になろう。それが病気を克服していく一番の近道だと思いました。
筋金入りの捻くれ者の私が、早々変われずはずもありません。でも笑おうという気持ちは持てました。
そうすると、少し時間は掛かりましたが、修復不能と思えた夫との関係も変わりました。今はかつてない程深く強いと思っています。
完治はしていませんし、することはないでしょうが、一生上手に付き合っていく覚悟も希望も持っています。
平衡感覚が無くなって、出来なくなっていた片足立ちも、短い時間ですができる様になりました。知らない人が見たら、少しバランスが悪いけれど、私は丈夫で健康なおばさんに見えるでしょう。
義父の援助で、10月の初め3週間日本へ帰国し、足リンパマッサージ、森美智代先生の鍼治療、西式健康法の渡辺医院での断食入院、町田宗鳳先生のありがとう禅、そのとき紹介して頂いた高橋先生の鍼灸気功治療を受けることが出来ました。
西洋医学を否定している訳ではありません。でも治療法が無いなら、検査も薬も拒否し、私は私の選んだ方法、信じる方法で病気と向かい合っていこうと決めました。
今なら転んでも、アハハハと笑える様な気がします。
パタゴニアの暮らしと共に、これからは私の病気の経過も正直に書いていこうと思います。
闘病をされている方が不愉快な思いをしてしまうかもしれません。でももしかしたら、ささやかでも誰かの何かの力になれるかもしれません。そうできる様に、そうなれる可能性を信じ、日本で学んだ事、実行している事、今感じている事を伝えていきたいと思っています。

パタゴニアは寒い春です。朝は未だに氷点下に下がります。それでも姫リンゴの深紅の花、ぼけの小さな赤い花が満開です。食用リンゴの薄桃色の花も咲き始めました。
遅れた畑の種まきも始めようと思います。