時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「本質」

私は「子供嫌い」と時々言われます。確かに、子供がいてもわざわざ近寄って話かけません。それよりも関わらない様に遠ざかったりします。
子供が私をじーっと珍しそうに見たら、同じ様にニコリともせず相手が目を反らすまで睨み返します。泣いている子をあやしたり、転んだ子を抱き上げたりもしません。憎いからではなく、甘えているのが見え見えだからほかっておきます。
それでも自分では子供が嫌いだとは思っていませんでした。だって、懐いてくる子には本を読んであげたり、一緒に遊ぶのが好きでした。
子供は好き。ただ知らない子には関わりたく無いだけ。だから一方的に「子供嫌い」と言われると、私が愛情の薄い冷たい人間だと言われたようで残念でした。

4月から子供日本語教室をしています。今までも頼まれて子供を教えた事はありますが、1人か2人の個人レッスンの様なものでした。
今回は4人の女の子、一番小さい子は8歳です。子育ての経験も無いし、子供教育の勉強をしたことも、子供と長時間関わったこともありません。教室にはDVDやPCの機材もなく、音痴の私は歌ったり踊ったりが出来ないので、唯一できるイラスト描きでカードを作ったり、紙芝居を作ったりして子供の反応を見ながら手探りで1時間の授業をしています。
それでも日本語を勉強したいと自分からやって来た子たちなので、本当に楽しそうに嬉しそうに授業を受けてくれます。

先日、いつも一番に時間前に来るフリエッタが10分過ぎても来ません。
「どうしたんだろうね?病気かな?」と皆んなで話して授業をしていました。30分過ぎた時、教室のドアが開き、お父さんに連れられたフリエッタが入って来ました。
「おはよう。待ってたよ。」と迎えに行くと、突然私の腰に抱き付いて泣き出したのです。お父さんが「今日が日本語の日だって忘れて起こさなかったら寝坊しちゃって。」と話してくれました。
日本語教室に遅れて悲しい。30分も授業が受けられなかった。とオイオイ泣くのです。
そんなフリエッタを抱きしめながら、私は初めて気が付きました。
子供ってなんて柔らかくて温かいんだろう、と。

犬や猫の好きな私は彼らの柔らかさも温かさも知っています。でも、可愛いと思って授業をしていた筈の彼女の柔らかさには初めて気付きました。
ああ、こういう事だったんだ。自分の事だから自分の評価は自分が一番よく出来ると思っていたけれど、私の評価はなんて底が浅く薄っぺらだったんでしょう。
私の子供好きは、本物の子供好きの人から見たら「きらい」と同等だったのです。

感謝の言葉を伝えたつもりが、君は本当に感謝する気持ちがない人だね。と言われ、どうしてそんな風に思われるんだろうと情け無くて涙が出たこともありましたが、今なら理解できます。

人の言葉に心が傷つく事が多かったけれど、傷つく必要なんて無かったんだと思いました。だって、その言葉は全て私の本質を見て出て来た正しい私の評価の言葉なのですから。それに「愛の反対は憎しみでは無く無関心」と言うマザーテレサの言葉にあるように、たとえ憎しみであっても、言ってもらえたから気付けたのです。

これからは気持ちが落ち込みそうになったら、フリエッタの温もりと柔らかさを思い出し、本当の自分を見つめ直し、前に前に明るく進んで行こうと思います。