時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

歯医者行ってきました

今日は空が青く澄んで、風もなく穏やかで、暑くも寒くも無く、静かで、小鳥のさえずりやミツバチの羽音が聞こえ、涙が溢れるくらい気持ちの良い平和な1日です。

満開だった林檎も、微かな風にもハラハラと花びらを散らし始めました。このまま遅霜さえ降りなければ何年振りかで大豊作となりそうです。

エニシダの花が咲きました。道沿いを黄色く染める季節です。

ルピナスも日当たりの良い場所では花をつけました。

林の中では野生ランが甘い香りを漂わせ、ライラックも空に向かって花を咲かせています。

 

畑の中では冬を越した「カル」と言う野菜や大根、ルクラの花が咲いています。人参もリーキもブロッコリーもキャベツもセロリも、もう直ぐ花をつけそうです。ここで育ってきた野菜たちです。種を守っていこうと思います。

 

11月です。2020年もあと2ヶ月です。

とても不思議で思いもしなかった年になっています。去年の今頃は海外からのボランティアを受け入れ、一緒に生活しながら農場の仕事を手伝ってもらっていました。

驚く事やちょっと“むかっ”とくる事もあったけど、それも良い経験。それよりも楽しく充実した思い出いっぱいの夏を過ごしました。

今年はどんな出会いがあるのかと楽しみにしていたのですが、アルゼンチンは未だに国境、州境の閉鎖が続いています。

 

農場を出てエルボルソンの街に居ると、大きく変わってしまった生活を感じますが、農場にいる限りはそういった事を殆ど感じません。

薪を準備し、畑で種を蒔き水やりをし、露天風呂に入り、犬達と遊び、豆腐や味噌を作り、ずっとずっと続けてきた私の大好きな日常があります。

 

さて今回はコロナ禍での歯医者のお話。

 

お昼にサラダを食べているとカリッと歯に当たる物がありました。

嗚呼…またか…。

すぐに分かりました。歯の詰め物が取れたのです。飲み込まないように慎重に口から冠を取り出します。今回は右下の奥歯でした。

「いやあ参った。」

これはいつもの感想。

私は基本的に病院には行きません。車の免許書き換えの時くらいしか病院に行ったことがありません。薬も飲みません。対処治療をせずに済む無理せず休みたい時に休める生活ができます。歯医者も実は行きたくないのですが、こればかりはどうにも出来きず、一年に一回はお世話になっています。

こちらの歯科医院は先生一人で、助手も歯科衛生士さんもいません。また基本的には一回の治療で直します。

麻酔がきついのか、一度打つとひどい時は一週間くらい痛くて痺れた感じが残ります。ですから麻酔なしでと言う人もいますが、痛がり怖がりの私は、後で痛くても治療中の痛みを我慢するなんてとても出来ません。

 

コロナ禍で診療しているか不安でしたが、いつも行く歯医者さんで奇跡的に5日後に予約が取れました。平静なら1ヶ月先なんてザラです。

朝一番の予約で行くと、受付のおばさんが「先生はいつも20分くらい遅く来るから」と当たり前のように言うのです。まあ仕方ないか…。

待っている時に、ガーゼのようなもので作った上着を着せられ、靴にも靴カバーを渡されました。でもどう見ても使い回し。意味あるのでしょうか?

 

遅れて来た先生はフェイスシールドを付けて治療開始です。

私が外れた冠を渡すと、「飲み込まなくて良かったわね!日本の?凄く綺麗に作ってあるね。」と感心していました。

確か20年近く前、保険で治療した時のものです。そして歯と冠を綺麗にして元どおり詰め直してくれました。麻酔もせずに済みました。

めでたしめでたし。10分ほどの治療で2500ペソ。日本円でおおよそ3300円くらい。保険なしの治療で日本では安いと感じるかもしれませんが、私の生活では一週間分の豆腐の売り上げに匹敵し、高額でした。

でもまさか自分でボンドで引っ付ける訳にはいかないし、冠を飲み込まなかっただけ幸運です。

 

この先、年とともに今までとは違う変化が訪れると分かっています。体調不安を憂うより、歯が抜けても、重い物が持てなくなっても、平衡感覚が無くなって転んでも、老眼が進んでも、「ガハハハ」と笑っていられるだけの豪快さを身に付けたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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こんな感じ

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畑の中から