時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

再会で気付いた思い

時間が駆け足で過ぎていきます。その速度が年々速くなっていると感じます。

だから、これからどうしよう…と不安になる暇がありません。どうしようと思っていても、それをどうにか解決して「なあんだ。悩む事なんて無かった。こんな解決法もあったんだ。」と感心している自分に気づきます。

11月のパタゴニアは、晴れると20度を越す夏日。曇りや雨になると5度前後でストーブが必要なくらい気温が下がります。

風の季節で、最近危なくて外で火を燃やせず、露天風呂に入っていません。

 

冬の終わりに 知り合いの日系鍼灸師さんの成人した息子さんに、日本語を勉強したいと頼まれて家庭教師を引き受けました。

ここ数年会っていませんでしたが、私は彼が生まれた時から知っていて、人見知りでお母さん以外の人が近づくだけで大泣きしていた子が、しっかりした若者になっていて感慨深く、自分の時間の流れとは違う子供の時間の流れの速さを感じました。

 

週一回お母さんの診療室の中のサロンで授業をすることになりました。そして何回か通ううちに季節は春になり、街には花が咲き始めました。

ある日サロンへ行くと、テーブルに水仙が飾ってありました。

花の美しさよりも花瓶に目がいき、ホアホアととても暖かい嬉しい気持ちになりました。

この花瓶、数年前に私が作り焼いたものだったのです。

 

私の焼き物のこだわりは、自分の農場から採取した粘土で作陶し、農場の木の灰から作った釉薬を塗り、農場の松で農場内の穴窯(と呼ぶのは恥ずかしいくらい小さな窯)で焼く、農場の焼き物を作る事です。

農場の粘土は1010℃で歪み溶け始めるとても耐火温度の低いものです。焼き締めない限り、水漏れがして食器には向きません。ですから水を入れ続ける花瓶は作ったことがありませんでした。

でも鍼灸師の友人に、漢字の入った花瓶が欲しいと頼まれ、私なんかに注文してくれた事が嬉しく、何度も失敗しながらなんとか水漏れしない物を焼き上げました。

でも正直満足とは程遠い出来で、恥ずかしい気持ちで渡したことを覚えています。

 

あれから10年近く。

諸事情で焼き物から遠ざかったせわしい暮らしをしていました。そして花瓶のこともすっかり忘れていました。

それが突然、私の目の前に現れてくれたのです。

 

あの時、恥ずかしい気持ちで渡したけど、何年もこうして花を引き立て部屋を明るくしてくれていたんだと気付くと、自信を持って渡さずにごめんなさいと思いました。

ここにもこうして、農場から生まれた子が生き続けているんだと誇らしい気持ちで一杯になりました。

もう轆轤を回す事が体力的に難しくなってしまったけれど、今の私でも出来ることを、心を込めて作っていきたいと改めて思いました。

 

家の横のスイカズラの花が満開です。

とても良い香りです。特に朝は香りが強く、玄関を出ると身体中が香りに包まれ、あまりにも気持ち良くて暫く動けません。

ロサモスケータの花も咲き始めています。暑い夏がやって来ます。

 

 

 

 

 

 

花の文字が幼稚で良いですよね?

香りをお届け出来ないのが残念です