時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「パタゴニアの自然農法」

昨年の8月に亡くなった福岡正信氏の一番弟子とも言えるギリシャのパノス氏が、乾燥地緑化と自然農法の指導に一ヶ月間アルゼンチンに来て下さり、パタゴニアネウケン州リオネグロ州、チュブット州)には3月3日から13日まで滞在されました。3日と12日は我が家にも宿泊して下さり、8日は急遽ご自身の休息日を返上して我が家で粘土団子播き実践指導までして下さったのです。

パノス氏来亜が決まってから、夫は受け入れスタッフの一員として忙しく動き回っていましたが、私は弁当作り、送迎などの裏方を担当し、パノス氏がエルボルソン地区に来られてからも、参加希望者が多く定員オーバーになった為、遠慮して私は講習会に直接参加する事はありませんでした。ですから8日は私にとっては「革命的」とも言える日になりました。

パノス氏受け入れスタッフの仲間も5人ボランティアとして来てくれ、スキヤキでお昼を食べた後、作業を始めました。

イネ科の草がボウボウと茂る自称「畑」に、みんなが(勿論パノス氏も)5m間隔に並び、野菜、草花、木、果樹の種の混じった粘土団子を手で撒いて行ったのですが、私は播きながら感激して嬉しくてたまりませんでした。私の心の中では、粘土にくるまれた種達がのうじょう真人の大地に根を張り、芽を出し、空に向かって伸びていき、大きく育った果樹や木の下で花が咲き、野菜が大きく育っていきました。

粘土団子を播いた後は、種の発芽と成長を助けるため伸びきったイネ科の草をなるべく短く鎌で刈り、乾燥を防ぐ程度に刈った草を畑全体に薄くふりかけました。

実はこの草刈りが大仕事でした。全て手作業。我が家に有る日本製の鎌を総動員し、更にチリ製の大鎌も借りてきて、炎天下の中、みんなが汗まみれになって作業したのです。

土地を耕さなくても、草を根こそぎ引き抜かなくても、こうして最初に少し粘土団子の為に手を貸して上げるだけで、一種類だけはこびったイネ科の草を押さえ、野菜が自然に収穫出来るようになると言うのです。それにはなるべく多くの種類の植物が必要で、野菜だけとか果樹だけと言うように選別してはいけないのです。

今までの私達の農場は、撒いた粘土団子の量と植物の種類が少なすぎて自然農場というより、放任農場に近い状態だったのです。

私達の農場を歩き、土の状態を手で見ながらパノス氏が、「この土なら、野菜が食べきれない位育つ。」と言って下さいました。

実はのうじょう真人の土地条件は隣近所に比べても、エルボルソン地区の中でも、驚くほど悪いのです。水路の水を電気ポンプで汲み上げてタンクに入れているので、畑に十分にやれるだけの水がありません。また朝日が当たらず、アンデスの谷が正面にあり、冷たい西風が直接吹き付けます。地形の関係か霜もきつく、ほんの数メートル離れただけのお隣とも花の時期が二週間も遅いのです。

今から思うと、よくこれだけ条件の悪い土地を買ったものだと呆れますが、でも、一目惚れしてしまったのだから、きっと何かここでなくてはいけない理由があるのでしょう。

一時はどうしてこんな所を選んだんだろう・・・と恨めしく思った事もありましたが、今は違います。条件が悪ければ悪いほど、自然農法の本領が発揮できるのです。福岡氏の山も、パノス氏の農場も、初めは草も育たない痩せた荒れた土地だったのです。

みんなで播いた粘土団子ですが雨が殆ど降らず、種の発芽も遅れています。もしこれから雨が降って発芽しても、寒さに耐えられるだけ育ってくれないかも知れません。でも、そうしたら春にまた大量の粘土団子を作って播くつもりです。

種の確保が最大の問題ですが、初めが肝心なので、少し無理をしても購入して種は確保するつもりです。


興味の無い方も多いかもしれませんが、定期的に畑の様子をご報告させて頂きます。見学、粘土団子作りや種まき参加大歓迎です。但し、のうじょう真人はエルボルソンの町から気軽に辿り着ける場所ではありません。必ず事前に連絡下さい。