時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「たのしむ焼き物」

パタゴニアに来て始めた焼き物です。
薪窯を作り、粘土や釉薬になる鉱物を探しに乾燥地帯を旅し、松薪を準備し窯焚きをして、ブエノス・アイレスで展示会をしました。焼き物は暮らしの一部でした。一人では何も出来なかったけれど、同じ方向を向いて進んで行く人がいました。お陰で私は多くの事を学べました。
時が過ぎ、私を取り巻く環境が変わり、気持ちも変化し、以前の様な体力もなくなって、数年間、焼き物から離れていました。でも全く離れていた訳ではなく、細々と粘土の準備はし、お地蔵さまなど小さな物を作ってはいました。
生活の薪準備、細々した雑用、豆腐や味噌作り、規模の大きくなった日本語教室、持病克服の為の体操…ああ、焼き物に集中できる時間が無い!と焦っていました。そんな時
「嘘つき。そんなの言い訳でしょ。やる気が無いだけじゃない」
私を外から見る私の声が聞こえました。
子供の頃から何をやっても途中で投げ出し、自信を持てるもの、自分を磨いていくものが何もありませんでした。楽しくって大好きだった焼き物も、同じ様に投げ出そうとしていました。
私は土や鉱物の特性も、窯の温度変化も、理論的に何一つ説明出来ません。だから自分に自信が無く萎縮していました。私のやっているのは単に粘土遊びだと自虐していました。
でもやっと、私は私と思える様になりました。笑いたければ笑えばいいよ。馬鹿にしたっていいよ。それが私なんだから、と良い意味で開き直れました。
4月26日大安吉日、一年ぶりに窯焚きをしました。
前日に窯詰し、当日はまだ暗い朝4時半から焚き始めました。予定は12時間。今回は殆どが置物の素焼きなので、ねらしの時間を短くして、暗くなる前の終わろうと決めました。
零度近くまで気温の下がった寒い日で、窯を焚きながら、猫の福のために家の薪ストーブも付け、家と窯場を行ったり来たりしました。
窯焚きはいつだって緊張します。薪の準備だって、作品を作るのだって簡単ではありません。だから絶対納得のいくまで焼こう、反省はしても後悔はしない窯焚きをしようといつも決めています。
今回は10時間で窯どめしました。よし!と思ったのですが、二日後の窯開けで、釉薬をかけた数点がねらし不足で土からの色が滲み出ていませんでした。
でも楽しかったです。
今回は試しに、処理に困っているワインの瓶を窯で溶かしてみました。狙い通り、一本が驚くほど小さくなり、器の中で溶けて割れにくくなりました。次回はもっと大量に溶かそうと思います。
焼き物は結構重労働です。重いものを運んだりします。窯詰めの時、窯どめの時、薪準備の時、焼いている時、窯出しの時、正直しんどかったです。
でも最近思うのです。今私がやれている事、後何回やれるのだろうと。だから今出来る事を大切にやらなければいけない。動く体に感謝しなければいけないと。
焼き上がった作品達。釉薬をかけるものは掛けて次回に焼き、素焼きの物は農場内の切り株に飾ろうと思います。もし誰か欲しいと言ってくれる人がいたら、喜んで養子に出します。
ただ作品を作るだけじゃ無く、粘土を掘り出し、松を切りだして割って薪にし、窯の修理をし、釉薬を作る。そう言った全てのことを楽しい、面白いと思ってくれる人、きっと何処かにいるだろうから、出会えるのを夢見て、私が楽しんで楽しんで、これからも楽しい未来を引き寄せていこうと思います。


-