時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

落ち込んだけど、復活するぞ!

待望の雨が降りました。

ザアザアと降り続く冬の雨には程遠かったですが、それでも薄っすらとですが山に雪が積もりました。誰もが待ち望んでいた雨でした。

天気予報を見ると、明日から来週半ばまで雨の予報です。当たらないと有名な天気予報ですが、今回ばかりは皆の「雨よ降れ」の大きな望みと希望が集まっているので、きっと降るでしょう。

 

もう8月も終わります。乾燥具合にもよりますが、9月半ばから野外の焚き火が禁止になります。焚き火といっても、こちらでは木を切ったり、選定したりした枝を燃やす事です。薪にしない枝や灌木は林にそのまま残しておくと、夏に山火事の原因になるからと冬に間に燃やすように指導されます。

ですから今、山の中腹からのろしの様な煙があちこちから立ち昇っています。

ああ、あんな上の方まで人が入り込んで林や森を切り開いているんだ…と、その煙を見るたび私は悲しくなります。

去年、大規模な山火事が広範囲で起こり、その火が町まで迫って200件近くが焼け出されました。ですから火事が広がらない様に、消化活動がしやすい様にと、木を切り何もない空間を広げています。それに人口増加の拍車がかかって、どんどん木が切られています。

我が家でも広い土地を所有していた隣人が、所有地を小さく切り売りして、隣接する新しい住人が7軒も増えました。新しい隣人は、動物や人が勝手に入らない様に自分の土地の周りをフェンスでがっちり囲います。そして今まで自然林だったところを切り開き、畑やビニールハウスを作ります。無造作に木が生えていると火事の時延焼が早いとか、消火活動の妨げになるというのが理由です。それは市の方針でもあります。

ですから隣人が増えた分、我が家も隣接している場所は林の整理を余儀無くされました。

人を頼んで整理をしてもらいましたが、下枝を切って整理するのではなく、見事に柵から5メートルは木を切られました。

切る人はチェーンソーでぶった切りしていきます。木への敬意も何も感じられません。

その風景を見た夜、私は眠れませんでした。木達に申し訳なくて苦しかったです。

人間が増えるとろくなことがありません。でも私も間違いなくその人間の一人なのです。

 

屠殺場の近くに住んでいる人が、殺される牛の声が聞こえて嫌だ、と言った時、「えっ!牛って殺される時鳴くの?」と心底驚ろいた人がいました。

私は牛の気持ちがわからないその人に心底驚きました。

同じ哺乳動物の気持ちがわからないのだから、木を伐採する時、木の痛みを想像することなんて出来ないでしょう。

 

今、切られた木を運び、薪にしています。太い幹は私では無理なので、チェーンソーで切ってもらうことになります。でも私が切れる太さの木は、「ありがとう。ごめんなさい」と声をかけながら、のこぎりで時間をかけて切っていきます。

人を批判したり粗探しをしたり、落ち込んだり絶望したり、その場から逃げても、自分が苦しいだけで何も変わりません。だから私は私なりに今を生きて、今と向き合って、良いことや楽しいことを見つけ、笑って進んで行こうと思います。

そういう気持ちになれるものが、ここにはあるからです。

 

 

 

 

 

 

 

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街からの風景

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悟りのドアップ。(関係ないですけど)