時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「緑のトンネルを通りながら」

「うわあ〜きれい!トンネルみたい!」
我が家の道を初めて通った4歳の男の子が嬉しそうに叫びました。
車や人が通れるぎりぎりの所しか枝を払ったり草を刈ったりしない我が家の道で す。道の両脇には野茨や根曲がりたけなどが壁を作り、大きく育った木は、やが て高い所で枝を伸ばし屋根をかけます。まだまだ緑のトンネルには程遠いです が、少しずつ近づいているのが実感できます。緑が育っているその息遣いを感 じる事が出来ます。

我が家の道を利用している隣人たち(大地主が土地を切り売りした名残で、市道 までの道は他人の土地の道を利用しても良いと法律的に守られています)には 物凄く不評の道です。勝手に広範囲の枝を払われたり、切られたりする事もあり ます。
春先、伸びて通行の邪魔になる枝を切るのも、雪が降って重みで垂れ下がる枝の 雪払いも結構な労働です。
それでも私達は緑のトンネルを目指しています。

どうして草刈りをしないのか。
どうして花壇を作らないのか。
どうして果樹の剪定をしないのか。
どうして木を種で播き、植林をしないのか。
どうしてビニールハウスを持たないのか。
どうして林の下枝を払わないのか。
我が家へ来る人たちの共通した疑問です。
でも4歳の子供はその答えを考える事も無く、自然に出しているのです。

どうして人は自分の都合だけで自然を支配しようとするのでしょうか?自然の本 当の美しさって なんでしょう?
植物の悲鳴は私には聞こえません。聞こえなくて良かったと思います。もし聞こ えてしまったら、一緒に居る事が辛くて堪らなくなりそうです。
植物の声が聞こえないから、私は彼らに任せたいのです。植林したら成長は早い けれど、寿命はずっと短くなります。草を刈るから大地が直ぐに乾燥し、人工的 に水やりを続けなければいけなくなるのです。果実は人の為に実るのではないの で、選定して大きくしたり、形を良くする必要なんてない筈です。ビニールハウ スは何よりも外に反射する光が不愉快だし、耐用年数が過ぎたらゴミの山です。 草の中に咲く花々の逞しさ、美しさを大切にしたいのです。

人が暮らす以上、自然を壊し都合よく利用するのは仕方ないと思います。私も 自分の為に、自然に多くの迷惑を掛けています。でも迷惑は最小限にしなけれ ばと反省します。ごめんなさい。有難う。の気持ちを持ち続けたいと思います。

育ち続ける緑のトンネルを通りながら思います。
私が居る時間だけじゃなく、その先も、ずっと先も、このトンネルが成長し続け る環境であって欲しい。このトンネルを子供の様に、美しいと声に出して言える 人が増えてほしいと。

写真は家に入る手前の小さなトンネルです。満開の花がむせ返るほど香り、蜜蜂 たちの羽音が聞こえます。