時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

命がいっぱい

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取り残した林檎が木の上で冬を迎えています


パタゴニアは夜の長い冬を迎えています。

夕方7時には真っ暗になり、朝は9時過ぎにやっと薄明るくなります。

暖冬か?と思ったのも束の間、先週から寒波が続いています。

最低温度はいつもマイナス5度前後でそれ程でもないのですが、日中の気温が上がらず5度まで上がれば上等です。

水が凍らない様、家の水道をチョロチョロ出していたのですが、凍って出なくなってしまいました。天気予報を見ると今月は寒波が続き、蛇口から水の出ない生活が暫くは続きそうです。

でもいつも外の600リットルに水を貯めているので水無し生活というわけではありません。

また電動ポンプが凍らない様、友人が使いやすく設置してくれたおかげで停電にならない限り、タンクにたっぷり水を貯めておけます。

1日に数回、ポリタンクに水を入れ家に運びながら、平衡感覚や歩くリハビリになる、有難いと思っています。

 

私は子供の頃から異常な怖がりでした。子供の好きなお化けや世界の七不思議なんて話、うっかり聞いてしまったものなら、その夜は怖くて怖くて眠れませんでした。それは大人になってもあまり変わりませんでした。

 

ある夜家の中で寝ていた悟りと大将が外へ出たいと鳴きました。私も寝ていたのですが、トイレかもしれないと思い起きてドアを開けました。そして外を見て一瞬驚いて体が凍りつきました。

玄関の5メートルくらい先に、背の高い痩せた男の人が立っていたのです。夜の12:30。暗くて顔は見えずシルエットだけでした。こんな時間に私を訪れる人なんていません。

「quien? 誰?」

動揺して目をそらした次の瞬間、その影はもう消えていました。

体から力が抜けました。

それは月明かりと木々が見せた幻覚だったのでしょうか。

でもあまりにも鮮明で、犬達もいつもの「外に出せ」でも「誰か来た」でもなく、「知ってる誰かが来たよ、外に出たい」という感じの鳴き方でした。

 

取り敢えずいつもはしない鍵をして寝ましたが、怖いとは思いませんでした。

 

時々「そんなところに1人でいて怖くないの?寂しくないの。」と聞かれます。

私は「全然」と正直に答えます。

 

もしここが旅先だったら、物凄く怖くて寂しいです。でもここは私と25年以上成長してきた、一緒に生きてきた場所なのです。

安心できる優しい命に囲まれた場所なのです。

今は亡き犬や猫たち、短期でも一緒に過ごしたボランティアや友人の想い出がいっぱい詰まった場所なのです。

何が怖いのでしょう?何が寂しいのでしょう?

 

今はコロナで自由に旅行できませんが、世界には美しい場や歴史の重みのある素晴らしい場所が多くあります。

でも私は出かけたいと思いません。

私はここで今まで通り、私を認め見守ってくれる自然達に囲まれ、命を感じていきたいです。

そういう場所を見つける事ができて幸せだと感謝しています。

 

 

 

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取り残した林檎が木の上で冬を迎えています