やりたい事が沢山あります。
ずっと
如何して私はここに来たのかな?
何故ここに今暮らしているんだろう?
私の存在価値って何だろう?と考えてきました。
せっかく私としてこの世界に生まれ、このパタゴニアで生きているんだから、私にしか出来ないこと、私だから出来ることがあるんだと思い始めました。
5年前くらいから自分をめぐる小さな世界が変わり始め、最初はどうやって心を処理していいのか分からなく、怒りや失望や不安でいっぱいでしたが、今はそれが全部自分にとってはプラスに進んでいく大切な時間だったと気づきました。
ここへ来て25年。その時間を人や動物たちと巡りあって、自然に守られ、いろんな想いや経験をして過ごしてきました。
25年。凄い!
でも必ずいつか終わりが来ます。そしてそれはここで過ごしてきた時間よりも確実に短いです。今までの経験から、最後は絶対に良い結果になっていくと信じる事が出来るようになり、先の見えない不安や心配が無くなりました。
そしたら今、私が持っている時間で、何かを残していきたいと思いました。
夢があります。そのお話はまたの機会にしますが、今は春になったら始めたい具体的な夢があります。
それは来た人が気軽に利用できる、サウナを作る事です。
我が家には露天風呂があり、私は室内の電気シャワーは使いません。雨や強風の日、夏の水が不足した時には沸かす事ができないのが不便ですが、毎日入れなくても大満足で自慢の露天風呂です。
でも夏にボランティアを受け入れた時、この露天風呂に入れる人は少数でした。電気シャワーは水圧も水量も弱く、汗を流す機能しかありません。それでも外で湯船に浸かって風呂を楽しめる人はあまりいませんでした。(でも日本人ではないのに、お風呂大好きと長時間毎日入った人たちもいて、その方が驚きなのかもしれませんね)
ところで
お隣に住んでいるのに殆ど付き合いのなかった人と、最近友人を介して繋がりができ、時々行き来をする様になりました。先日、私が注文の燻豆腐を外の窯で燻していると、偶然彼女がやって来ました。そしてその小さな燻専用窯と方法を見てとても興味を持ちました。
そこから話は始まって、彼女の家には手作りサウナがあると知ったのです。
「おもしろ~い!見てみたい!近いうちに見に行くね。」
私が言うと、それならサウナ準備するから入りにおいでと招待してくれました。
それで先週の金曜日の午後行ってきました。
彼女は時々しかサウナを沸かさないので、この日は私の他にも4人の女性が集まっていました。
ドラム缶に薬草を入れた水をガンガン沸かし、その蒸気をサウナ室に入れていました。
入るとムンムンと凄い湿気と熱。私は濡れタオルで口を塞がないと息が詰まりましたが、皆んなは平気で裸を恥じる事もなく、汗をびっしょりかいていました。
面白かったのは、日本の温泉で気持ち良さにギャルが「う”~」と唸る様に、こちらでも若い子が何度も唸っていました。
これってきっと世界共通の体感言葉なのでしょうね。違うのは、気分が高揚して皆が歌を歌い始めた事です。このノリ、さすがラテンだと楽しかったです。
歌を聴きながら、サウナがあるといいなあと思いました。水着を着れば男女一緒でも外でも明るくても大丈夫だし、ボランティア達も喜んで入るだろうと思いました。
それにお風呂と違って水を替えたりする必要が無く、何人でも続けてまたは同時に入る事が出来るのでその点もいいなと感じました。
そしたらよーし、次回のボランティア募集時には、薪準備よりもこのサウナ作りを優先しようと決めました。
冬の間に、経費をあまりかけず手に入るもので、人力でできる方法を調べたり、いろんな人に相談したりしようと思います。まず場所を決めてイメージを膨らませていこうと思います。
このコロナ禍。
夏のボランティアを受け入れられるかどうか微妙ですが、楽しんで、面白がって、小さな小さな私らしい夢をみて、時間が許す限り叶えていこうと思います。
コロナはエルボルソンの感染者は3月に休暇でヨーロッパへ行った市長と、隣町から来た警察官、幼児の3人の軽症者だけで、特に私の住むマジン地区ではゼロです。
法律で外出禁止、州越え規制、マスク着用、入店人数制限、飲食業閉店、コンサートや集会禁止、休校、外出は一日1時間100m以内でなどがありますが、マジン地区にいる限り平和で穏やかで、コロナ禍がどこか別の遠い世界の出来事の様に思えます。