時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

輝く未来

アルゼンチンへ来た当初、隣人の子供達が私を「TOKIKO」と、友達の様に呼び捨てするのにとても驚きました。日本では考えられない事でした。

この国には年上を敬う習慣が無いのかと、少し不愉快にもなりました。

でも直ぐに名前を呼ばれる事に抵抗が無くなり、かえって親しみを感じる様になりました。

例えば、知らない誰かに話し掛ける時は「sr.セニョール」「sra.セニョーラ」と呼びかけます。直訳すると「おじさん、おばさん」又は「旦那さん、奥さん」になるのでしょうが、意味合いは違います。日本では「すみません…」と言うだけで、名詞で呼びかける事はしないでしょう。

こちらでは自己紹介をしたら、「よろしく。Tokiko」「ありがとう。Tokiko」と言う様に直ぐに名前で呼びかけてきます。

これはとても親しみがあって気持ちが良い習慣だと感じています。そしてそれが小さな子供であっても同じです。

 

去年薪小屋が雪で潰れ、新しく作り直してもらいました。その時知り合った大工さんの子供達が大のアニメファンで、先日お父さんと一緒に遊びにきました。日本人と話せると言うことに興奮しているのが分かりとても可愛かったです。そしてアルメンドラ(アーモンドちゃん)が自分の8歳の誕生日に招待してくれたのです。

彼女からしたらおばーちゃんの年齢の私が…とちょっと戸惑いましたが、お父さんからも是非来て下さいと言われ、「ありがとう。喜んで。」と返事しました。

そして月曜日に行ってきました。

幸い彼女の両親とおばあさんとお友達の両親も居て子供だけではなくホッとしました。

私が来ると知っていたからか、それが最高のおめかしなのか、アニメのTシャツを着ている子が多くいて、12歳から2歳までの男の子と女の子10人くらいが、みんなでワイワイキャーキャー裸足で走り回っていました。

アルメンドラにプレゼントのガラス玉のネックレスをあげると、直ぐにつけて「綺麗!ありがとう。Tokiko」と抱きついてきました。そして大切にポシェットに入れた他の人からのプレゼントを見せてくれました。高価な物では無いけれど、みんなが彼女を思い用意した温かいプレゼントでした。

 

おばあさんが作ったクッキーと、お父さんが焼いたハンバーグとレタスとトマトをパンに挟んで食べて、お母さん手作りのケーキにロウソクを灯してみんなで誕生日の歌を歌いました。質素だけど手作りの心のこもった誕生日でした。

 

子供達が素直で生き生きとして可愛いと感じたのは、年齢も性別も関係なくみんなで走り回って、誰に教えられる訳でもなく小さい子の面倒を見たり、大きい子に甘えたり、犬も猫も鶏も同じ大地の上にいて、木々に囲まれた自然の中で大らかに生きているからなんだろうなと思いました。

 

子犬を育てて感じていたことが、アルメンドラの誕生日に行ったことでもっとはっきり分かりました。

それは子供の持つエネルギーの純粋さと力強さです。大人になるにつれて無くしてしまった、心の奥に仕舞い込んでしまった無垢な力を子供達は思い出させてくれます。側にいるだけでほくほくと元気が出ます。

 

もうこの世界に生まれ変わりたく無い。希望が無い。今の自分を楽しんで感謝して行くだけで良いと思ってきたけれどそれは間違いでした。今同じ時を生きている子供達には未来があります。動物だって鳥だって魚だって昆虫だって木や山や川だって同じです。

 

あまりにも大きな強い流れの中で、自分に出来ることなんて何も無いと思ってきたけれど、もう一度この世界に生きてみたいと思えるような未来を作らなければいけないと感じました。

それは自分に出来る小さな小さな小さな小さな事からで良かったのです。

 

農場を、居るだけで心が安らぐ、そんな場所にしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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ワクワクドキドキのケーキカット

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1ヶ月近く楽しませてくれたアマンカイの花ももう終わりです