時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「夏祭」

毎週月曜日、どんな事をして日本語教室に来る子供達と遊ぼうか?と楽しく頭を悩ませています。最初は3人から始まったのですが、口コミで広がって今は7人の子供が来ています。男の子は1人で、あとは皆んな女の子です。
子供というの3人以上集まるとそりゃあ大変です。口答えはするし、屁理屈は言うし、集中力が無いのかじっとしていないし、すぐに飽きるし。
でも絵を描いて来てくれたり、手紙をくれたり、野の花を摘んで来てくれたりなかなか可愛いのです。授業は最初の30分は日本語の勉強に当て、ひらがなや挨拶などを教えていますが、それだけでは飽きてしまうので、次の30分は図工や簡単な理科実験しています。今はネット検索という便利なものがあり、授業に使えそうな事をせっせと探しては活用しています。
特に身の回りの物を利用した工作やカード作りが好評で、皆んな夢中になって作っています。
材料を揃えて持って行ったり、あらかじめ家で試しに作ってみたりと準備に時間がかかるようになりましたが、家で工作をしながら、自分で結構楽しんでいる事に気付きました。
11月の終わりに年長のモラちゃんがアニメで見たのか「日本のお祭りって楽しそう」と言ってきました。すると他の子達が「お祭りしたい」と言いだしました。
冗談じゃない、お祭りなんて出来る訳ないじゃんと、日本の夏休みの話にすり替え逃げました。でも授業が終わってから急に「お祭りか…。面白いかもな。」という思いが頭をもたげました。
それで12月の最初の土曜日を発表会を兼ねた夏祭をやる事にして、子供達には屋台として、今までやった工作の中の一つを選んでお客さんと一緒に作ったり遊んだりしてもらう事にしました。
どうしても食べ物屋がしたいというモラちゃんには、私が団子とかりんとうと味噌クッキーを作って金券を売って、金券と食べ物を交換するという事にしました。
金魚すくいならぬ磁石の魚釣り、ビニール袋に丸めた紙を詰めたポンポンボール、折り紙、段ボールで作るコマ、紙を切ってひらひら舞わせる紙コプター(でもフリィちゃんはそれをくるくる種と名付けました)、ヨーグルトのカップで作るけん玉。私は習字で名前や好きな言葉を書いてあげる屋台にしました。
当日までの2回の教室では子供達に屋台の看板(と行っても紙に色鉛筆で書くだけですが)や魚釣り用の魚などを作ってもらいました。そして個別面談で「自分の屋台の責任を持つ事、困っている子がいたら助けてあげる事、準備はみんなで協力する事、終わったらきちんと後かたずけと掃除をする事」を確認しました。
お菓子作り、壁に貼るひらがな表や挨拶表作り、磁石付きの竿やその他諸々の準備、材料揃え、街に貼る広告、ラジオ局への宣伝以来等々、経験の無い楽しい忙しさでした。当日は大勢の人で賑わう光景を思い受けべていました。
土曜日の午後、約束の時間前に子供と付き添いのおかあさんは集まり、会場作りをしました。
みんなで考え会場作りをしながら、ドキドキワクワクしていました。

でも来てくれたのは私が声をかけた成人教室のうち4人と子供の同級生が5人、お母さんの友人が3人だけで一般の人は誰も来ませんでした。
数字的には大失敗だったかもしれませんが、私は物凄く感動しました。それは 子供達が自主的に自分の屋台で必要な物を考え家で準備し揃えて持ってきた事。みんなで協力して会場を作った事。終わったらきれいに後かたずけして掃除していた事。
そして私は私よりずっとずっと若いお母さん達とゆっくり話ができ親しくなることが出来ました。
人は来なかったけど、帰る時みんなが「凄く楽しかった。」と言ってくれました。
日本語もひらがなも全然覚えない!なんてイライラしたこともあったけど、言葉なんて必要になったら覚えるだろうし、今は子供達が楽しい、面白いと感じてくれる時間を一緒に過ごす事の方がずっとずっと大切な事だと思いました。
「時子は楽しかった?」と聞かれ「勿論!みんなを誇りに思うよ」と答えたら、ぱっと輝いた子供達の顔が私の宝物となりました。

みんなありがとう。お母さん達ありがとう。土曜日にわざわざ来てくれた人達もありがとう。

農場にアンデスの山百合アマンカイが咲き始めました。
この花が咲くと、私は今年も終わるんだなあと感じます。私の年末の花です。