時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

鋭かった。一つの言葉。

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いつでも謙虚にいたい。

正直でいたい。

心は子供の様に純粋でありたい。

素直になりたい。

 

歳を重ねるとは魂を磨き、それなりに熟成していくことで、決して偉ぶることでは無いと思っていました。年下でも、子供でも学ぶ事はいっぱいあって、決して歳取った私の方が偉いわけでは無いと思っていました。

でも歳とともに、私は随分傲慢になっていたみたいです。

 

先日、若い日系人の友人が「友達で焼き物をしたい人がいるんだけど、時子さんの家に連れて行っても良いかな?」と尋ねてきました。

「勿論。ここ数年焼き物から遠ざかっていたけど、薪窯もあるし、薪とか粘土の準備をしてくれるなら良いよ」と答えました。

私は自分で面白がって楽しんで焼き物をしているだけで、技術もないし、理論的にきちんと粘土や窯焚きを人に教えられる訳ではありません。「あんた一人で一体何が出来ると思っているだ!」と笑う人もいるでしょう。

でも私が焼き物を通して感動している事を、数字や理論ではなく感覚で伝えてみたいと思ったのです。

「じゃあ、彼女たちと一緒に来てよ」

「ありがとう。そう連絡して調整してみる。今度の火曜日行くかも。」

そしてその後、彼が私に「また先生になるね」と言ったのです。

 

私はドキリとしました。

 

実はお正月に書き初めをした時、小学生の時習字教室に通っただけの私が「習字するときはきちんと座って、心を落ち着けて書くんだよ」と偉そうなことをその男性に言ったのですが、彼は実は書道5段だったのです。

気付かないうちに、(私は年上だから。日本で生まれた日本人だから。)という傲慢さ出て、彼を上から目線で見ていたのです。

 

粘土や薪準備をやって貰うじゃなくて、一緒にやろうねと思わなくてはいけなかったのです。

もう一度焼き物に向き合う機会を与えてくれてありがとうと感謝するべきだったのです。

 

悪気でも、嫌味でもなく、ふっと自然に感じたことを口にしてくれた彼に、心から感謝しました。

思い遣りのある、優しい温かいおばあちゃんになりたいと思って、自分でも随分変われたと思ってきたけれど、まだまだ表面だけを取り繕っているんだなと気付きました。

今私がここにいる事を、支えてくれる人、動物、生き物、自然、物達に感謝し、ありがとうと言い続けたいと思いました。

 

殆ど日光の当たらない入口脇に置いた鉢植えに花が咲きました。

寒さと乾燥に強いからと数年前貰った鉢植えです。曇り、雨、小雪の暗く寒いこの季節に咲いてくれた小さな花が、とてもいじらしく可愛らしいです。

一緒に生きているんだなとしみじみと感じました。