時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

熱かったね。ごめんね。

本格的な暑さと旱魃にはまだ早い11月なのですが、今年は例年になく乾いて太陽光線の強い日が続いています。

恒例の様になってしまった山火事です。燃え始めると手がつけられず、雨を待つしかない状態まで広がります。原因の殆どが放火と言うのが情けないです。

 

以前に書きましたが、私は電磁波が嫌で朝夜の1時間程度しかwi-fiを繋いでいませんでした。

 

それは風の強い快晴の暑い日でした。

お昼過ぎに近所(と言っても、歩いて20分位)の友人が突然やって来ました。

「こんにちは。こんな時間に珍しいね」と挨拶すると、「大丈夫か?」と緊張した様に聞かれました。

「?」

「メンデスのところで山火事なんだ。このすぐ近くだろ。」

「ええ~!」

 

ここらは一軒の敷地が広く、近所といっても日本の様に家と家が密着しているわけではありませんが、メンデスは歩いていける近いお隣さんで、街に行く時に必ず通るところです。

びっくりしました。

その友人は火事の速報が入った時、我が家のすぐ近くだと言うことで直ぐに連絡をくれたのですが、wifiを繋いでいない私につながらず、何度連絡しても返事がないので、心配して駆けつけてくれたのです。

丁度彼と話している時、彼の緊急用トランシーバーに火事の続報が入り、鎮火されたと分かりホッと顔を見合わせました。

「何かあったら連絡してくれ」と言って、彼は火事の処理のために現場へ向かいました。

 

その直後停電となりました。

家の敷地を回ってみましたが、とても近所で火事があったとは思えない静けさです。

煙も見ませんでしたし、灰が降って来る事もありませんでした。

消防車の来る音や消火の騒ぎも聞こえません。

 

しばらくすると、別の友人が様子を見に来てくれました。私の思ったメンデスではなく、もう一人の別のメンデスの林が燃えたそうです。我が家から道で繋がってはいませんが、直線距離にすると1キロあるか無いかのご近所です。

 

我が家は火事現場の風上だった事で灰も匂いも届きませんでした。

また地形的にも窪地の我が家からは木々に遮られ炎も煙も見えませんでした。

我が家は現場より奥にあり、車や人も近くを通る事はありませんでした。

ですから私は平気でいられたのです。もし煙が見えたら、騒ぐ音や声が聞こえたら、と思うと恐ろしくなりました。

 

電気が復旧してからwifiをつけると、「大丈夫?」「必要なことがあれば言って」など沢山のメッセージが入っていて、事の大きさを再認識しました。

 

現場からの距離は我が家と同じくらいだけど、位置的に反対側に住む隣人の所では、匂いがして煙も見えて、一時はパニックだったそうです。

 

植林の松林を中心に7ヘクタールが燃えましたが、幸い人家に被害はなく、怪我人も居なかったそうです。原因は電線工事中の作業員が、しっかりと処理せず昼休みに行って、風に煽られて電線がショートして火事になった様です。

 

人が増え、ゴミが増え、野鳥が居なくなり、森が姿を消しはじめ、雨が降らず水不足になり、鬱憤を晴らすとか、得をしよう(燃えた木は薪として売れますし、焼けた土地は許可なしでも土地売買ができますし、消火活動をしたら州からお金が出ますし…)と思って放火する人がいて、もうそんな事にうんざりして、いっそ隕石でも落ちて来て、一瞬で全てが消えてしまえたら良いのにと思う事もありました。

でも世界を変えたり流れを変えることが出来なくても、私だから出来ること、私にでも出来る事があるから、今私がここにいるんだと思ったのです。

1匹のミツバチでも、一本の草でも、一羽の鳥でも、一滴の水でも、私がいる事で少しでも救われたのなら、私がここで生きている価値が見つけられる気がします。

でもそんな事以上に、私はここに居られる事で、私自身が大きく救われているのです。

生きていくことはしんどい事もあるけれど、生きているから感動でき、感謝でき、楽しめるのです。

今ここに生きている事を大切にしていきたいと思います。

 

以前は道端に野草の様に広がっていたルピナスも、気候変動でかほとんど見かけなくなりました。写真は公園で大切に育てられている箱入り娘のルピナスです。

 

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山火事後

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ルピナス。こちらではチョチョとも呼ばれています