時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

エコって何だろう?

10年近く前、町に再生エコハウスが出来ました。

ペットボトルにビニールゴミを詰め込んだ物を土台に埋めその上に家を建て、壁は乾草やおがこ、砂を混ぜ込んだ粘土(土壁)で、外の階段や花壇などは古タイヤを利用していたり、ガラス瓶を明かり取りにし、屋根はトタンの代わりに土をもり、そこで草やイチゴなどを育てる方式の、今こちらでブームの資源再利用の家でした。

でもゴミの上に住むなんて体に悪そうとか、屋根を土にするのは夏暑すぎて植物焼けそうだし、水やりするのかなあ?なんか無駄のような…とか、自然利用って言ったって、大量に使う粘土を他所から持ってくるんだし、と、見学してみたい気は有りましたが、大きく心を揺さぶられるような関心はありませんでした。

 

数年前からエコホステルを始め、予約がなかなか取れない人気宿になりました。そうしてますます見学の機会が無くなりました。

 

ところが、豆腐がきっかけでその管理人カップルと仲良くなり敷地をくまなく案内してもらう機会に恵まれました。

 

そして私が抱いていた偏見や批判の気持ちに変化が起こりました。

確かのプラスチックゴミとか古タイヤとか体に悪そうだけど、じゃあそれを再利用しなかったらどうなるの?

パタゴニアでは再利用施設もゴミの完全分別も進んでおらず、結局どこかで大量に野焼きされるか、そこらへんにポイ捨てされるか、自分の見えない場所で環境破壊をしているのです。

使わなければ済む事なのに!と正論を言っても、今ある大量のゴミ、増え続けているゴミの解決にはなりません。それなら人がそれを再利用する事は、例え健康被害があっても自分達の責任を自分達で取っている事になると思ったのです。

 

正直自分がプラスチックゴミの上に家を建てる勇気はありません。ですから極力プラスチックゴミの出ない生活を心がけてはいます。でもやっぱりゼロにする事は不可能で、それならみんながしている様に町のゴミ箱には捨てずに、露天風呂を沸かした時、一緒に燃やしています。

便利かどうかは考えず、本当に必要かを考える様にしたら、欲しいものが無くなりました。

それでも私の生活は、自然にとって有害な物に溢れています。贅沢で便利で、そうかと言ってあまり利用していない物に囲まれています。

この世界を卒業する時、残った人が処分に困らない様に、私を守ってくれた自然達が困らない様に、この先どんどん自分の物を整理していく覚悟です。逝ってしまったワンコや猫達の様に温かい優しい思いだけを残していきたいです。

 

山火事は油断はできませんが、なんとかコントロールできたようです。消火されたというより、燃えるものがなくなったと言う方が正しい気がします。

燃えたのは8000ヘクタールとか10000ヘクタールとか報道されています。大体横須賀市の殆どが燃えてしまった計算です。

暑い夏は今までもあったけど、今年の様にカラカラの強烈に暑い夏は初めてです。

 

 

 

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