時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「電気は有難いとしみじみ感じた日々」

停電は珍しい事ではありません。月に2,3回は停電します。でも以前の様に一日中と言う事はなく、数時間で復旧します。単純な私は、停電の後電気 が来ると、電気会社頑張ってるなあ、と感動しています。
この間の日曜日もお昼近くに停電しました。この時は電圧が弱くなって、点いたり消えたりを繰り返した後停電しました。プツンと電気が消える時は問 題ないのですが、電圧が弱くなる時は、電化製品が壊れる可能性が大きくなるのでとても困ります。
ワールドカップ期間中なので、ラジオもテレビも点かないとみんなが騒ぎ出すから、きっと直ぐに復旧すると軽く考えていました。
ところが、夜暗くなっても電気は来ません。まあ朝までには来るだろうと、ろうそくの明かりで夕食をとり、早々と8時に寝ました。
私は豆腐作りの為、毎朝4時に起きます。けれどもその日の朝はまだ電気は来ていませんでした。電気が無いとミキサーが使えず豆腐は作れません。 (情けない事ですが1kgの大豆を擂りこぎでつぶす気力は私にはありません。)
それにこんなに停電が長時間なのは本当に久しぶりです。幸い月曜日は日本語教室があるので町へ行きます。ついで電気会社に問い合わせてみようと家 を出ました。
ところが、途中にある家には全て電気が灯っています。
と言う事は停電は我が家だけ。困ったことになりました。
そこで一番に電気会社へ相談に行きました。そして窓口で状況を説明していると、クッキーを食べながら話を聞いていたおねーちゃんの第一声。
「電気代は払っているの?」
これには流石の私もむかっと来ました。電気代を滞納している奴が、こんな朝早く相談に来るかっていうんだ!!
「私じゃ分からないから、現場の人に伝えておくわ。今日中に行くから彼らに直接相談して。」
態度が悪いと文句を言ったら後回しになる事間違いないので、ひきつった笑顔で「お願いします」と言って事務所を出ました。
そして・・・半分諦めてはいましたが、案の定彼らは来ませんでした。火曜日も水曜日も停電は続きました。
我が家の電化製品は町に行った時大量にまとめ買いする犬達用の骨や肉の保存のための冷凍庫。日本へ帰国した友人から頂いた炊飯器。新しい家の温水 器。ラジオ。豆腐作りのミキサー。バッテリーの壊れた私のノートパソコン。
テレビも冷蔵庫もオーブンやレンジも洗濯機も、当然ウォシュレットなるものもありませんから、豆腐作りが出来ない事以外、それ程不便はないのです が、流石に3日停電は長すぎます。
でも有難い事に火曜日の午後から、電線を共有している隣人4軒も停電になりました。どうやら我が家のトランス(と言うのかどうか言葉が分かりません が)がショートして焼けて、その影響で停電してしまったようです。
文句を言うのが1人から4人に増えたのは心強いものです。
木曜日の朝、今日こそ電気技師さんたち来てくれるだろうと期待して待っていたのですが、8時を過ぎても来ずに、諦めて寝ました。
ところが、夜中の10時半、犬たちのけたたましい吠え声に目が覚めました。
外を見ると電気会社の車が来ています。それから懐中電灯を頼りに彼らの点検修理が始まりましたが、大ショートして4軒どころか近所一体が停電に なってしまいました。
結局翌日の早朝にもう一度来て作業をしてくれて、やっと電気は復旧しました。
我が家の変圧器(トランス)に雨が吹き込んだのが原因だったようです。
焼けたトランスを見て、もしこれが夏だったら火事の心配もあったとぞっとしました。
ちなみに、ここでは復旧作業はしてくれますが、機器は全て自分たちで電気屋へ行って買って来なければいけないのです。
でもまあこの停電のお蔭で、冷凍庫のこびり付いた霜も奇麗に掃除できたし、電気の有難さを再認識できたし、事務所のおねーちゃんにはむかっ腹が 立ったけれど、朝早くから夜遅くまで忙しく働いている技師さんたちが居る事も分かったし、貴重な4日間だったと思う事にします。
アルゼンチンは220v。漏電も多いです。
みなさま、キャンプなどは絶対電線、電柱付近ではしないでくださいね。