時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

私の先生

あれよあれよと言う間に2020年も後1ヶ月です。

 

パタゴニアは暑くなったかと思うとストーブを焚く寒い日があったり、強風が吹き荒れたり、穏やかな暖かい日になったり。

花が咲き、種になり、草がみずみずしく伸びて行き、近所の羊や鶏の子供が生まれ、餌を探して歩き回り、季節はいつもと同じ様に巡っています。

 

コロナの影響で日本語教室をしなくなって時間に余裕が出来たはずなのに、心のゆとりが無いのか、気がつくと、ライラックも山吹も野生ランも花が終わっていました。

今年はアミガサタケも一本しか見つけられず、ジャオジャオきのこも一回しか収穫しませんでした。タンポポの葉も花も食べませんでした。今は根曲竹の新芽の季節です。

季節に恵みを頂いてきちんと感謝していこうと反省しています。

 

ここで暮らして25年になります。

数年前、写真を全部処分しました。私の歴史の写真は私にしか意味がないものだし、逝ってしまった家族や友人や動物たちの姿を見るのは辛くてできないし、いつか私がいなくなった時に、知らない誰かにゴミとして処分されてしまうよりも、自分できちんとお別れしておいた方が写真も幸せじゃないかな?と思ったからです。

ですから写真を見て昔を懐かしむとか、変化に驚くとか言う事がありません。

今を今として暮らしています。

 

でも同じように季節が巡っていても、時々はっと驚くことに出会います。

先日、買い物をして街から帰ってきた時、荷物が多くて何度も家と車を往復しました。最後の重い荷物を運ぶ時、草ボウボウだけど玄関への近道を通ったら、以前の住人が植えた花が増えて咲いているのに気がつきました。

引っ越してきた最初の初夏、鉢に植えられた一株のこの花が咲いているのを見て、綺麗だなあと感動しました。そして毎年毎年咲いてくれる花を、可愛いなあと思い見続けてきました。

それが今回、何故か突然「凄い」と言う思いが湧き出てきました。

何の手入れもせず、鉢を変えてあげることもしなかったのに、いつのまにか大地に根を張り、株を増やし、沢山の花を咲かせていたのです。

「私と同じ年月を同じ場所で過ごしてきたんだ。25年間ずっと。」そう思うと、可愛いよりも、その命の輝き逞しさに凄いと感動したのです。

 

人の言葉や行動に感動することも多いけれど、何も言わず主張せず、ただ淡々と生きている自然の営みは、それに気づいた時、物凄い迫力で私に迫ってきます。

 

何かを残したい、褒められたい、感謝されたい。未だにそんなことを思う自分の貧しさを反省しました。

自然の一部としてここで生きているだけで充分じゃないの。悲観したり否定したり批判したり、そんな事やめようよ、自然に任せて生きていこうよ。花たちは私にささやいてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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なんて言う花なんでしょう?

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マキと言う自生の木の花。紫の甘い実になります