時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

サウナ ミソ

気がつくと8月。

雨や曇りのどんよりした毎日です。朝、マイナスに気温が下がる日が続いています。

でも春先にいつもやって来る、テロというシギの仲間の鳥が甲高い声で農場の上を飛び始めました。玄関前のボケの蕾が赤く膨らみ始めています。日中の時間が少しづつ長くなっているのを実感します。春の訪れを僅かにですが感じます。

コロナ禍での外出制限も街でのマスク着用も入店の人数制限も、それが当たり前の生活になってきました。

まだ寒くて野良仕事が出来ない事もありますが、「仕事が無くて厳しい」という声を時々聞きます。街では何時の間にか、閉店してがらんどうになったお店が目に付きます。

でも有難いことに、そして不思議な事に、私の作る豆腐と味噌はよく売れています。私を知らなくても、「トキコの味噌」「トキコの豆腐」は健康食に関心のある人達に知られる様になりました。

豆腐や味噌を作って生計を立てるなんて、移住当初は思いもしませんでした。そもそも私が日本以外で暮らすことなんて二十代の頃まで想像もしなかったし、私を知る人達だって同じだったでしょう。

何が起こるか、どうなるか分からないから人生は面白いのかもしれません。

 

さて、今年の目標の一つ サウナ作りですが、本格的なサウナを作る方向に進み始めました。

ボランティアと一緒に作るにしても、先ずは私がしっかりプランを立て、設計図を書いて、材料を揃え、リーダーシップを取って進めなければいけないと思いました。

場所を決め、サウナ小屋の図も書いて見ました。でもどんな材料を使うか、それを何処で手に入れるか、溶接はどうしようか、柱の立て方、高床の仕方、屋根の付け方、ドア、窓、肝心の水蒸気を作る方etc

調べれば調べるほど、自分が作っていく現実的なイメージが出来無くなりました。当たり前です。犬小屋を作ることとは訳が違いますし、今までそんな経験をしたことが無いのですから。そもそも犬小屋だって私はダンボールを軒下に置くことしかしてこなかったのですから。

それで囲炉裏のある家を作ってくれた友人にメールで相談しました。その時はどうやって小屋を建てるのかを教えて貰うつもりでした。

ところが私の計画を彼が面白がって、いろんなアイデアを持って家まで来てくれました。そして話しているうちに「君のサウナ作り」から「我々のサウナ作り」に主語が変わってきました。

当初の私のアイデアは外にサウナ小屋を建てるものでしたが、それでは材料費と手間がかかりすぎるという事で、手洗い洗濯場兼物置きにしていた場所を改造することにしました。

彼は室内で石を焼く温熱サウナを推薦しましたが、それだとサウナ用に薪を準備しなければならず大変です。私はストーブには使えない枝や葉っぱを整理を兼ねて燃やすのも一つの目的でしたから、部屋は痛みますが水蒸気式にしました。

どんどん具体的に話が進んで、しかも思いもしなかった場所と方法で、予算も豆腐と味噌で貯めた金額で十分出来る範囲に収まりました。と言うか、収めてくれました。

町に降りるたび、私は材木屋、ガラス屋、資材屋を回り、彼が書いてくれた必要なものを買いました。買い物は好きじゃないのですが、今回は楽しかったです。

特注の窓ガラスが届くのが3週間後。その頃には暖かくなって、作業も始められるでしょう。

 

私がここで自由に好き勝手に暮らせる年月は、今まで感じてきた時間の感覚とは違います。以前は自分に終わりがあるなんて思わず、先の不安や恐怖が有りましたが、今はいつかは終わる貴重な年月に変わりました。

残された時間、残っている時間。

具体的にそれがどの位かは分からないけど、今、生きさせてもらっている時間を、楽しんで面白がって感謝して、大切に味わっていこうと思っています。

 

サウナの名前は「サウナ ミソ」です。

いろんな人が利用してくれる事を想像して、今からワクワクドキドキしています。

 

 

 

 

f:id:nojomallin:20200803223844j:plain

私の作ったフィナの豪邸