時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

残された意味

100パーセント。絶対。

この世界にそう言い切れることって無いと思います。

でもただひとつ、確実に存在する誰もが認める100パーセントは有ります。

それは命あるものは必ず死ぬ、少なくとも今持っている肉体をこの世で維持出来なくなる日が確実に来ると言う事です。

もう会えない。話せない。触れられない。死に出会うたび、その事実が悲しくて寂しくて泣きました。でもその涙は、残された自分が可哀想で、自分に向けての涙だった様な気がします。

 

今、私の側には猫の福と犬のホセフィーナしか居ません。

家族として当たり前に側にいてくれた、そしてこれからもずっと一緒だと思い込んでいた黄金も伏姫も心もテリーも居ません。

 

覚悟も無い、想像さえも出来なかった突然の別れが去年から続きました。

 

寂しくて、寂しくて、寂しくて、1日がふわふわと過ぎて行きました。

全ての出来事には必ず意味があると言われます。私もそう思います。でも私に起こった状況、皆んなが呆気なく突然逝ってしまった意味が、どうしても分かりませんでした。それは今でも分かりません。

でも寂しくて堪らないですが、悲しいとか、皆んなが可哀想だとは思っていません。

こんなに早く逝かせてしまった事に反省はするけれど、あんなことしなきゃ良かった。申し訳ない事をしたと言う後悔は有りません。

 

逝くその最後の瞬間まで、誰もが真剣で一生懸命で潔かったです。苦しそうにしていても、決して諦めたり恨んだりしていませんでした。そしてとても優しかったです。

 

「一緒にいてくれてありがとう。

私の所に来てくれてありがとう。

出会えて良かった。

楽しかった。

大好きだよ。」

私の声は届いた筈です。

 

「行っていらしゃい。

もう少し私はこの世界に残るようだけど、そっちに行く時は、迷ったり戸惑ったりしないように迎えに来てね。私を導いてね。また会おうね。」

そうお願いしました。

 

彼らの生きていた証が、私とこの農場の中に一杯有ります。彼らを可愛がってくれた友人たちの中にも残っています。

交差した時間。共有した時間。残してもらった多くの想い出。多くの気持ち。

 

私は私の魂を磨こうと思います。今ここに残っている意味をもう一度しっかり考え様と思います。そして皆んなにちゃんと迎えに来て貰える様に、きちんと生きようと思います。

 

雨の多い秋です。寒い冬を迎えようとしています。

雨の合間に見える山は雪をまとって輝いています。里に雪が舞う日も近いでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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街からの景色です