時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

受け取った思い

アルゼンチンは外出禁止令と、外出時のマスク着用義務が続いています。

禁止令といっても、検問された時に食料品買い出しと口頭申告すれば問題ありません。

私は2週間に一度街に行きます。持病の関係でベーガンなので、肉も魚も、乳製品も卵も食べません。私一人なら自家製味噌、買い置きの玄米と畑の野菜で一冬十分過ごせます。でも大切な家族の犬と猫、おまけに友人が保護して預かっている犬とその子が居ますから、彼等の為に犬用の骨や肉を買いに行きます。

今までは週2回街に行き、豆腐と味噌の卸、販売と日本語教室をしていましたが、今は中止しています。

支出も減りましたが収入が無くなって、そろそろヤバいなあ~と思い始めた時、個人的に豆腐や味噌を欲しいと注文してくれる人が増え、助かっています。丁寧に誠実に(あくまで自己判断ですが)やってきて良かったと思いました。

もともと賑やかな事や人と話す事が苦手なので、1週間誰とも会わない、話さないという今の生活を少しも寂しいとは思いません。ただずっと家の中で過ごす事はなく、農場でりんごや菊芋の収穫、薪作り、焼き物など自分の好きな事を体を使って自由に出来る事や、何かあったら助けてもらえる友人達がいるという安心感があるからなんだと思います。

 

ところで、以前にも書きましたが、友人が保護した犬の7匹の子供達。友人がFBで里親募集をしたら、あっという間にとても良い家族が見つかり、結局現在男の子2匹だけが残っています。

目も開かずキューキュー鳴いていた子達が、毛がフカフカになり、目も開き、歩けるようになり、おかゆを食べ始め、今ではお母さんと同じご飯を物凄い勢いで食べ、ちょこちょこ歩き回り、兄弟と戯れあって、私を見つめ、私の声に返事してついて回るようになりました。

優しい里親さん達が引き取りに来た時は、ホッとするよりも寂しさが心をいっぱいに占めました。

一気にではなく、1匹1匹といなくなり、お母さんのチャミーに気付かれ無いように連れて行ってもらいましたが、チャミーが算数を分からなくって良かったと思いました。

命が生まれ育って行く過程を、本当に何年か振りに経験させてもらいました。

生まれるってすごいな。育つってたくましいな。生きるって本当に素晴らしいなと、教えてもらいました。

4月いっぱいまで預かるという約束です。あと1週間。この子達の行き先が気になります。

 

私は絶対に家族となった動物達の責任持つと決めています。だから自分の健康や年齢を考え、もう新しい家族は持たないと決めていました。

でもそれはなんだか傲慢な考え方のような気がしてきました。私が居なかったら残された子達は生きていけないと思い込んで来たけれど、この子達の命はこの子達のもの。私が支配するものではないのです。

私は今でも果実の種を農場にまきます。自分が生きているうちに実を結ぶ可能性は少ないです。それでも芽が出て育って花が咲いて実を結び、それを喜んでくれる人を想像してとても楽しくなります。

それなら動物達だってここで生きていたら、たとえ私が居なくなっても、一緒に走り回って頭を撫ぜてくれる人がいるはずです。無責任な考えかもしれないけれど、今はそう信じる事ができます。

力まず自然に任せてみようと思います。今を生きるって、そういう事だと思えるのです。

もしチャミの子の新しい家族が見つからなかったら、ここに居てもらいたいな。と感じ始めています。それは私だけの意志じゃなく、ここの自然やここで生まれた命や目に見えない大きな流れが彼らを優しく受け止めてくれている気がしているからです。

 

秋のパタゴニアです。我が家の前から山を見ると、お隣に立つ黄葉したポプラの木だけに朝日が当たり黄金に輝く一瞬があります。

光る木を見つめながら、今日もいい1日が始まるな、ここにいられて幸せだなと幸せになります。

 

 

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右端の女の子はもらわれて行きました