時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「一歩を踏み出す勇気の大切さに気付いた出来事」

日本には13年近く帰っていません。
年2回のブエノスアイレスでの日本語教師研修会は3年参加していません。
友人の住む160km先の町にも10年行っていません。
春と秋の登山も行かなくなって何年経ったのでしょうか・・・。
お隣の都市バリローチェ、焼き物原料探しの乾燥地、合気道を習いに行った 40km先の町、そんなに遠くない場所にさえ行かなくなって随分経ちます。
交通費が無いとか、留守にするのが心配だとか、忙しいとか、ここが一番良いとかその都度色んな理由があります。
でも本当は気力と体力に自信がなくなっていたのです。怪我しない様に、無理せず静かに暮らして居たいと思っていました。

それはひょんな会話から始まりました。隣国チリの大学で日本語を教えている若い友人が我が家に遊びに来た時、
「時子さんは着つけ出来る?」
「お茶とかお花とかの経験は?」
「日本の伝統文化、何か出来る?」

もちろんそのどれにも「全然ダメです」が私の答えです。

「でもどうして?」と尋ねると、毎年12月に彼女の勤める大学で日本祭を開催するので、何かの形で参加してみない?というお誘いでした。
でもこれと言って自慢できる事が有るわけでなし、距離にして600kmといっても国外旅行ですし、面白そうだとは思いましたが最初は全然本気で考 えませんでした。ところが、彼女の「日本の焼き物を紹介出来れば面白いと思うんだけど。それに交通費と旅費くらいなら出せます。」という言葉に、ぐっと心が動 きました。
私の焼き物は趣味の自己満足の域を出ません。でも自分たちの手で粘土を採取し、市販の釉薬は使わず原料を探し配合し、農場で松を育て、薪を切り、 小さ いながらも穴窯で焼いています。使いやすさ、料理を引きたてる器を目指してい ます。それはアルゼンチンには無かった考え方で、とても日本的だ と言われています。焼き物に関してだけだったら夫に参加してもらうのですが、友人が女性と言う事と、料理も紹介したいという意向で私が参加する方 向に話が決まりま した。

「私なんかが行って本当にいいのかなあ?」という思いはありましたが、参加させてもらうからには友人に恥をかかせない様に、少しでも日本の良さを 伝えら れる様に、チリの人たちに楽しんでもらえる様に考えました。
そして人数限定で日本食を焼き物に盛って頂くという会食スタイルの講習会にすることになりました。
献立を考え、箸の使い方や食事のマナー、日本茶の入れ方なども調べました。焼き物も湯飲みや急須、お茶わん、角皿、割山椒など、なるべく日本的な物を選 びました。
初めての場所と経験で分からない事だらけで、焼き物も窯焚きが間に合わず在庫の食器しかなく、移動を考えると数も十分揃えられず、半分はぶっつけ 本番で 行くしかないと覚悟を決めました。

開催までにすったもんだ色々ありましたが、無事チリに行って日本祭に参加させてもらえ、帰って来る事が出来ました。

今は行って良かった。参加させてもらえて良かったと心から感謝しています。
行動するのが怖い、自信が無い、億劫だと思い続け、ここが一番、ここに居るだけで十分と何もしなかった日々。
彼女の薦めが無ければ、それはずっと変わらずにいたでしょう。
もちろん、今いる場所を大切に思っています。だから休暇で何処かに行きたいとは少しも思いません。でも自分に出来る事が外にあった時、それを実行 するの も大切な事なんだと気付きました。
以前の様な元気は年々無くなっています。体力的に出来なくなってきた事も多いです。それでもまだ、私には出来る事がある。それならば下手な言い訳 は止め て一歩踏み出してみよう、自分に出来る事を勇気を出して少しだけ無理して頑 張ってみようと決めました。

アンデス山脈隔てたチリは、緯度が殆ど同じでも全く違っていました。久しぶりに見た豊富な魚介類。大学も町も奇麗で安全で、人も優しくアルゼンチンより 数段緑が濃く、リラックスできました。
アルゼンチンにはアルゼンチンの良さがあると言っても、お隣の芝生は青く見えるのことわざ通り、チリが大好きになりました。
写真は市場の様子です。とどか?アザラシか?おっとせいか?市場に入り込んでいました。もちろん野生です。

次回はバルディビア市のアウストラル大学での最高に楽しかった日本祭のお話をします。

2014年も終わろうとしています。消化しきれない程多くの出来事がありました。先の見えない事もありますが、手探りでも前へ進んで行こうと思います。
どうぞ良い年をお迎え下さい。