時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

大切だった。物の命。

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子供の頃から欲しい物がいっぱいあって、手に入れてもすぐに新しい物が欲しくなるので、良い物を買って大切に長く使うことより、安物買いの消費生活をしていました。

アルゼンチンに来てからは経済的に厳しかったこともあり、物が買えなくなった代わりに、物を溜め込むみみっちいケチになりました。随分長い間、多くに人に甘えて助けてきてもらいました。

ここ数年、年を取ってから、少しづつ変わってきたと思います。と言うか、変わらなきゃあと気がつきました。

人が暮らすのに必要な物って、本当はとても少ないんだと思います。あれば便利だけど、なくても済むものに囲まれて暮らしている気がします。

(いつか使うかも)と思って残していた物、ほとんど使わずしまってある物の整理を始めています。身近に使ってくれる人がいたら一番いいのですが、そうでないものは街に持って行って、公園の目立つところに置いておきます。

数時間して引き取りに行くと、100%無くなっています。

古くて使わなくなったプリンターをダンボールに入れ、それを置いて、道を挟んだところに停めた車に戻り、30分くらい誰がどんな風に持っていくのかな?と興味を持って見ていたけれど、誰も持って行ってくれないので引き取りに行ったら、見事に空でした。車に戻る数秒の間に誰かが持って行ったみたいで驚きました。

あまり持っていませんが、服とか靴は定期的に販売会を行なっている学校に寄付します。売り上げは先生たちの飲み食いになるから阿呆らしいと言う人もいますが、例えもしそうであっても私はいいと思います。だって服や靴を使ってもらう方がずっと意味があるし、物は使ってこそ価値があると思うからです。

 

生き物の命は感じます。

犬や猫は私について来たり、甘えたりします。植物は春になると芽を出し花を咲かせ実を結びます。

でも物にも命があると最近感じます。今、私の生活を支えてくれている大切な仲間だと思います。だから使わずしまい込まれた物が可哀想だと思います。

がさつで乱暴でそれはなかなか直らないけれど、使う度に「ごめんね。ありがとう。」と言う気持ちが出てきました。

 

寒くなって衣替えをしました。

ダンボールの中から赤いちゃんちゃんこを出した時、突然色んな思い出が溢れてきました。

「これ着て勉強頑張りなさい。」と中学の時、母が渡してくれた情景が蘇りました。

それからずっと一緒でした。北海道で一年酪農実習した時も、札幌の農業学校で寮生活した時も、ここパタゴニアでも。

刺繍は寮時代、同級生の智恵ちゃんが作ってくれたものです。同級生の半分は社会人を経験してきたり大学を卒業して来た人で、私もその時22歳でしたが少しも浮いた存在にはなりませんでした。楽しい学生生活でした。

このちゃんちゃんこ、もう42歳です。でもとてもふかふかです。きっと今いる仲間たちの中で、一番長く私と付き合って、一番多く旅して来たでしょう。これからも私はこのちゃんちゃんこを着続けます。

 

質素に単純に身軽に生きようと思います。

この先どんなに便利で高級な物が手に入っても、それが本当に活きる人に譲り、私は今いる物たちと今の暮らしを大切に楽しんで過ごしていきます。

 

この先も私よりずっと長く生き続ける木や家や家具や道具や、この農場は次の誰か、信頼出来る人に譲って、私はこのちゃんちゃんこを着て「ありがとう。行ってきます。」と、まだ少し先ですが、その時が来たら元気にこの世界から卒業して行きたいと思っています。

 

 

 

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