時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「支え続けてくれてありがとう。これからもよろしく。」

私は山の無い町で育ちました。天気の良い日に遥か彼方にかすかに木曽山脈の山並みが見えると、それだけでワクワクしました。日本で山を身近に感じず育つ少数派の1人でした。
専門学校時代バイトに明け暮れ、連休があるとそのお金で日本中を旅しました。そしてどこへ行っても山が近くにある、山が見える事にとても感動していました。山は見るのも登るのも大好きでした。夏休みは1ヶ月以上山小屋でバイトしたりもしました。本当に楽しかったです。
アルゼンチンへ来た時、最初の3ヶ月はブエノスアイレス州のネコチェアにいました。そこは海沿いの街でパンパ平原の一部。真っ平らで全く山はありませんでした。
此処へ初めて来た時、山に囲まれ緑が濃い景色がとても気に入りました。此処に住みたい、此処に住もうという思いで頭が一杯になりました。
その頃は今のように土地が高騰しておらず、収入なしでも何とか2、3年は生活できる分は残せそうだったので、現実的なことは深く考えず家付きの今のこの土地をよく調べもせずに買いました。電気はあるし、水路からの水もポンプでくみ上げタンクに貯めておくと、蛇口から水が出ました。燃料は薪。道はでこぼこの土道。電話は電波が届かずありませんでしたが、不便も生活の面白さの一部でした。けれども地権、一部の隣人、州の政策等々、問題は後から後から出て来ました。
移住当初は感覚や習慣、考え方の違い、将来の不安から落ち込むことが多く、寝込んでしまった事もありますが、そんな時私の気持ちを落ち着かせてくれたのは、間近に見えるアンデス山脈でした。標高は2200m前後ですが、尖った山頂には万年雪があり、標高よりもずっと高く感じました。春や秋、観光客の来ない時期に日帰り登山も良くしました。里にいて息が詰まりそうな時でも、山へ来ると思いっきり深呼吸ができました。何とかなるさ、きっと大丈夫と素直に思えました。そうやって時間をかけて私を静かに優しく見守ってくれた山のお陰で、以前は寝込むくらい落ち込んだり悩んだり悔しかったりしたことでも、「これこそがアルゼンチン生活の醍醐味!」と、どうこの状況を切り抜けていくのか楽しんでいる今の私がいるのです。
パタゴニアも変わりました。山は山で変わりませんが、夏には山頂の雪が溶けてしまうようになりました。スキー場開発が進み、山に大きな傷跡が付きました。干上がってしまった川も滝もあります。山小屋も増え、登山客も増え、当然ゴミも増えました。それでも私は山が好きです。
持病のこともありますが、今では山へ行くことはありません。でも山をいつも暖かく感じています。
雪をかぶった山頂が朝日に輝く時間がとても好きです。雪が赤く光るわずかな時間、瞬きするのも惜しいくらい見つめています。
人間にどんなに傷つけられても、こうして光り続けてくれる山。何千年も前から、そしてこの先もずっと此処に存在し続ける山。
山にとっては一瞬の時間を一緒に過ごしているだけですが、私にとっては大きな存在で、今までもこれからも、ずっと支え続けてもらえる幸運を感謝していきます。