時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「無為自然」

10月、露天風呂の横のサクランボの木は満開でした。お湯に浸かりながら咲き誇る花や、風に舞い落ちる花びらを眺めていました。最高の花見風呂でした。
今はさくらんぼの実が鈴なりです。毎年花は木いっぱいに咲いていましたが、その後の低温などで花の半分も実になりませんでした。けれども今年は咲いた花が全て実ったかの様に葉の緑よりも赤い実の方に目がいきます。
毎年小鳥が来て実を運んで行ったり、食べたりしていました。その姿を見るのも楽しみでした。
今年も来ています。例年と違うのは木の下に小鳥たちが食べて行ったお土産として、種が其処彼処に落ちている事です。バスタブの上に屋根の様に張り出した枝にも実がびっしりついていますから、競争することもなく真っ赤に熟した甘い実だけを選んで、その場でお腹いっぱい食べて行くのでしょう。私は風呂の蓋に落ちている種を掃除するのが日課となりました。
まだまだ実はついていて順次赤く熟していくのできりがなく、地面に落ちた種はそのままにしてあります。もう少しして落ち着いたら、一気に掃除して農場中に播こうと思います。バケツに何倍もありそうです。
食事療法中の私は間食はしませんし、果物は糖分が多く体を冷やすので1日2回の食事時間に少し食べるだけにしていましたが、手の届くところにこれだけの実があると、我慢我慢と思いつつ、時間構わず口一杯に頰ぼってしまいます。
考えてみると、サクランボの生食はパタゴニアに来て初めてです。子供の頃はみつ豆の缶詰に入っているさくらんぼを食べた時凄く贅沢な気分を味わいました。今なら缶詰のサクランボに贅沢を感じませんし、食べたいとも思えません。
寒い冬を越して春の気配を感じると、木が膨らんだ様になり、蕾がつき、花が咲き、葉が茂り、実がつく。落ちた種や小鳥が運んだ種は、条件が揃えば芽を出し育っていく。毎年毎年繰り返される変わらない当たり前の自然の営み。それに理由や動機や説明や不安や心配なんて必要ないのです。
今を生きる、ただひたすら無心に生きる。
ずっと言い続けて来たけれど、やっと今頃、その言葉の本当の意味を実感しつつあります。

2016年も終わります。色んな事があり、色んな思いがありました。
2017年も色んな事があり、色んな思いをするでしょう。その全てを受け止め、辛いとか悲しいとは思わずに、感謝して楽しんでいくつもりです。
1年間読んで下さってありがとうございました。書き込みを下さった方ありがとうございました。
良い年をお迎え下さい。
皆さまの幸せと健康を心からお祈りしています。
そしてこれからも私の独り言にお付き合いください。