時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「最善」

先週末まで10日間 私の気持ちはゆらゆら揺れていました。毎日続けていた健康体操も薪準備もやる気が起きず、家の中から風に揺れる草木や、雲や空を眺めて過ごしていました。
「駄目だな。しっかりしなきゃあ。」と思う自分と、「私ってこんなに弱かったかな」と思う気持ちを行ったり来たりしました。
でもご飯を待っている犬猫達、豆腐作りと配達、日本語教室が私を日常の暮らしに留めていてくれました。
頭の中を巡っていたのは「死と生」でした。
死んだらどうなるのか?何てことは、考えても調べても絶対に分からない事だし、必ず行き着くところなので考えません。またいつか必ず死んでしまうのだから、その時が来るまで死にたいとも思いません。
けれども私は誰にも迷惑かけずスルッと消えて忘れ去られていたいなと、ずっと思って来ました。ですから私の痕跡が残る物、写真や手紙や日記は燃やしてしまいました。大切な物はそれに相応しいと思う人に譲りました。一緒に過ごした犬や猫達、農場の中で息絶えていた鳥や昆虫達。彼らの様に身一つで潔く土に還って行くのが希望でした。
でもそれがいかに自分勝手な考え方か分かりました。
私は人として特に日本人として生まれ生きているから、どんなに足掻いても動物達の様に自然には還れません。何も残せないし、子供もいないし、私が消えてもあっさりしたもんよ、とお気軽に自分勝手に思っていたけれど大きな間違いでした。
「人の死」と言うのは、とても重たくて同時にとても煩雑なものだと知りました。
私は何も残せません。お世話になる人にお礼の一つも出来ません。でももしその時が来て、何にも無い私でも「迷惑じゃないよ」と事務手続きをしてもらい、「お疲れ様でした。」と送ってもらえる様になっていたい。それには今から心して過ごしていくしか無いのだと気付きました。
どうしたらいいのか?どうしようか?今はまだ分かりません。でもそう思ったら、こんな風にぼーっと過ごしていてはいけないと力が湧いて来ました。
全ての事、全ての人に私の持てる最善を尽くしていこう、それしか無いんだと思います。私の最善が最悪と感じる人もいます。そう思う人にはごめんなさいと謝って距離を置いて、それでも私は私の最善を尽くしてくしかありません。
人は変われるか?きっと変われます。それをこれから私は実践していこうと思います。