時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「豪快南瓜」

我が家はエルボルソン近郊の中でもとりわけ寒い地区です。特に私達は極力木を切らずにいるので、木が成長して年々お日様の当たる場所が少なくなっています。それで野菜もほんの限られた物、ニンニク、ソラマメ、エンドウ、大根、キクイモ、チディビア(大根の様な人参の様なこちらの野菜)などしか出来ません。
必要なものは農家や地元の八百屋で買っています。でもどうもアルゼンチン人とは感覚が違う様で、こちらではナスでもキュウリでもズッキーニでも、とにかく何でも種があ固くなるまで大きくして売っているのでなかなかお金を出して買う気になれません。
一度エンドウをさやえんどうの時期に野菜炒めにして友人にご馳走したら、「これはまだ早すぎるよ。もっと大きくしてから食べるんだよ。」と教えられてしまいました。
ですから買う野菜も人参、玉葱、ジャガイモなど限られた物になってしまいます。

先日、日本語教室の生徒さんが家で作った南瓜を持ってきてくれました。彼は60キロ離れた町から通ってきてくれるのですが、彼の農場では南瓜が露地栽培できるのです。この南瓜、イギリス南瓜と呼ばれていて、今の時期地元のスーパーで山積みされ売っています。一つ一つが大きく、皮も硬そうで、味も水っぽく感じて、敬遠して買った事はありませんでした。こちらの冬の代表料理、野菜や肉のごった煮「ロクロ」に欠かせない材料です。
私には小さい物を選んで持ってきてくれたのですが、彼の所では50キロにまで大きくなった物もあるそうです。50キロの南瓜が畑に育っている図って、想像するだけで愉快で、来年は是非見に行きたいと今から予約?しておきました。
さてせっかく頂いた南瓜です。その夜切って料理しようとしました。ところが、包丁なんかでは皮に傷さえつきません。いやはや、ここまで硬いとは想像もしませんでした。
仕方がないので翌日、薪割り斧で鍋に入る大きさまで「割り」ました。
欠片の一つを少ない水で蒸す様に煮ると、皮に固さに反比例して実は割と早く柔らかくなりました。試しにスプーンで実をすくって一口食べてみました。
ああああ、なんてホクホクで甘くて美味しいんでしょう!こんな美味しい南瓜を何年も敬遠していて勿体無いことをしました。煮崩れもせず、日本料理にも使えますし、パイにしても最高です。
食事療法していますが、元来意地汚い食いしん坊です。美味しいものがあると我慢ができず、あるだけ食べてしまい、いつも食べ過ぎで自己嫌悪の繰り返しです。
私はいつも朝早く八百屋に行くので(朝の遅いアルゼンチンでは朝早くは人がほとんど居ません)この南瓜は丸のまま売っています。小さくても1つ3キロくらいはあり、1人では食べきれません。でもお店ではちゃんと小売してくれるんです。では斧もノコギリもないお店でどうやって切るのかと言うと、何とコンクリートに叩きつけて割るのです。
さすがアルゼンチンらしい方法です。お客さんは地面に散らばった破片の好きな大きさの物を買っていくそうです。日本じゃ考えられ無いですが、この雑さ、大雑把さ、よく言えば豪快さが、日本ではだらしがないだの、いい加減だの言われ窮屈な時が多い私が、アルゼンチンでは居心地が良いと思える理由の一つかもしれません。
次回町へ行ったら八百屋でこの南瓜の一食分を買ってこようと思います。目の前で南瓜のたたき売りの実演が見たいです。