時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「思いっきり シャリシャリ」

我が家は、去年一昨年と2年連続で果実の不作でしたが、今年は大豊作でした。
プラムもりんごも、ジャムにしたりジュースにしたり、ドライフルーツにしたり、ケーキや寒天に入れたりそのまま食べたり、それでも余り、毎日バケツ一杯落ちた果実を拾い、農場中に蒔いていました。
子供の頃は田舎暮らしでもなく、田舎に親戚もおらず、食べ物は買うものだと思っていました。土のついたじゃがいもを汚いと思い、虫の食ったレタスは気持ち悪いと捨てる様な子供でした。それが簿記の専門学校卒業後、就職せずに北海道へ酪農実習へ行って変わりました。
酪農自体は牛が乳を出す機械のようで可哀想でしたが、大地の上で汗を流す喜びや移り変わる季節と一体になって過ごす楽しさを学びました。
一年の実習ののち、札幌の農業専門学校へ入学し、酪農、蔬菜、花卉、果樹、農業機械など一通りの勉強をしました。そこで私が一番好きだったのが果樹の実習でした。収穫の秋は傷ついたリンゴや洋ナシが食べ放題で、欲張りな私は実習の合間だけでなく寮へも持って帰って、毎日お腹を壊すほど食べていました。こんなに幸せな毎日があるんだ〜と思っていました。あの時は自分がアルゼンチンに住む事も、リンゴを思いっきり食べる事も想像さえできませんでした。
それが今は自然に育った野生のようなリンゴやプラムやキイチゴを木からもいで、直接お腹いっぱい食べる事が当たり前の生活をしています。そして思います。この暮らしを選べたのは、北海道で青空の下で食べたリンゴの美味しさを知ったからなんだと。
以前泊りに来てくれた人が「思ったよりずっと贅沢な食事をしていたから驚いた。野草ばっかり食べるのかと思ってた。」と言いました。その時は野草もキノコもなく、養殖場でマスを買い塩焼きにしたり、チーズを買ってピザを作ったり、野菜や肉を買ってアサードをしたりしました。
でも私からしたら、それは手間とお金はかかるけれど、決して贅沢な食事ではありませんでした。私にとっての贅沢は、自分の暮らしている場所から採れる自然の恵みを、自分で作った味噌で味付けして食べる事なのです。それを貧しいと思うか、贅沢と思うかはそれぞれの感じ方なのでしょう。
毎日薪ストーブのオーブンで焼きリンゴにして食べていたら、気がつくと数えるほどしか残っていません。残りのリンゴは一つずつ大切に食べる事にしました。
農場には取りきれなかったリンゴが木に残っています。でもこれはそのままにして鳥たちに食べてもらうことにします。
人も鳥もみんなでシャリシャリ。豊かに実ってくれたリンゴにありがとう。