時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「お別れの言葉は何時だって”ありがとう”」

私は毎日夢を見ます。夢で色んな所に行き、色んな人に会い、過去へも未来へも行きます。空を飛んだり、水の上を歩いたりもします。

もう一年くらい前になりますが、あまりに鮮明でずっと忘れられない夢があります。
私は草原を歩いていました。草は枯れて黄色でした。だだっ広く地平線が見渡せ るくらいでした。でも暫く進むと前方に川が流れていて、その対岸には 黒瓦の 平屋の家が所狭しと並んで建っていました。川には渡し船が何艘も浮かび、びっ しりと人が乗っていて、下流に向かってゆっくりと流れていまし た。とても賑 やかな場所で活気がありました。
それを見て私は直ぐに
「ああ、ここが三途の川なんだ。」と気付き、「船に乗っている人達は、これから黄泉の国へ旅立って行くんだ。」と思いました。
でも寂しさなんて少しも無く、居るだけで楽しい気持ちになっていきました。
そして一艘の船を見ると、愛猫の福結び(びんちゃん)がこちらを向いて人間と一緒に乗っていました。
なぜか人間と同じ大きさになっていて、だから周りの人に比べると顔が異常に大きく滑稽でした。
とても真面目な顔でじっと私を見つめていました。それで私は声をかけそびれてしまったのです。

賑やかな三途の川は、落語の「地獄八景亡者の戯れ」の影響でしょう。その時は 起きてからびんちゃんを抱き「あんた、大きくなって船にのってた よ。」と笑 いながら話しました。

人が大好きで、犬のお豆とも仲良しでした。
家の中も好きで外には滅多に行きませんでした。
朝はニャーニャー鳴いて私を起してくれました。
4時になると、夕飯頂戴とうるさく催促されました。
抱かれると力を抜いて任せきっていました。
柔らかくて温かくて、私はびんちゃんを抱くのが大好きでした。

元気が無くなった時、不安で不安で「私を置いていかないでよ。」と何度もびんちゃんに呼びかけました。
持ち直してくれた時は心からホッとしましたが、それも3日と続きませんでした、
抱きながらツナを口元まで持って行っていくと、美味しそうに食べてくれたのがやはり3日。自分から物を食べなくなったのでバターを半分強引に口に いれて食 べさせました。家中を歩き回るようになり、足元がだんだんおぼつかなくなって いき、最後はふらふらと這うように進んでいました。水を脱脂 綿に含ませて飲 ませても、直ぐに吐いてしまうようになり、苦しそうな唸り声も出すようになり ました。
もう見ているのも辛く「もういいよ。もう先に行っても良いから。ゆっくり休んでよ。よく頑張ったよ。」と言ってしまいました。
3週間近く頑張ってくれました。
最後の日は、朝、床に這いつくばっていたのを抱いて寝床の箱に入れてあげる と、そのまま静かに眠り始めました。そして呻く事も無く静かに静かにお 昼頃 息を引き取っていきました。その日はびんちゃんの生まれた日でした。

苦しそうに歩き回っていた日々。
でもびんちゃんは「もっと生きたい」とも「もう死んでしまいたい」とも思わなかったでしょう。
今ある自分の生を自分らしくたんたんと生きていたのだと思います。

お別れの言葉は、何時だって「ありがとう」です。それ以外の言葉が見つかりません。

一緒に過ごした私の宝物の日々。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。言っても言っても言い足りません。

びんちゃんは、あの賑やかな場所に行って、大好きな人間たちと一緒に船に乗って川を下って行ったのでしょう。
きっと今度はみんなと一緒に笑っていたでしょう。

びんちゃんが土に還った場所にサクランボの小さな苗を植えました。
その木が育って、実をつけて、その実を小鳥たちが色んな場所に運んで行って、いつかサクランボの森が出来るでしょう。
命はこうして繋がっていくんだと思いました。