時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「ありがとうの小径」

早いもので、「小さな家を作ろう」と決心してから一年が過ぎました。
一年前と今では状況が随分変わり、家も当初一人で計画し進めていた時より、数段素敵になっています。正直これほど時間とお金と手間がかかるとは 思ってもいませんでしたが、その分愛おしさも増しています。
水回り工事も終わり、かまど風ストーブも完成し、流しもシャワーも取り付け、もう住める状態ですが、今は細々とした内装、主に家具作りをしていて室内が片付かず、まだ引っ越しは していません。ですから日に何度も別宅と本宅を行ったり来たりしています。
250mほどの距離ですが、途中小さなシプレス(パタゴニア自生の針葉樹、日本のヒバの仲間)林を通ります。毎日何回も同じ所を通るので、細い小道が出 来ました。
最初はそこを通るたび「静かな林だったのに、私のエゴで道にしてしまってごめんなさい」「踏みつけてしまった草たちごめんなさい」と謝りながら歩 いていました。でも、「ごめんなさい」より「ありがとう」の響きの方が好きで、「新しい家を作らせてくれてありがとう」「やさしい木漏れ日を ありがとう」「ここを通らせてくれてありがとう」と言いながら歩く事にしました。すると歩くたびに色んな事が「ありがとう」と思えるようになって、今ここ に居る自分と周りにある全ての事に「ありがとう」と感謝出来るようになりました。
ただこの小道を抜けてしまうと途端に「ああ、あんな事を言われて悔しい」「あんな風に嘘をつかれて空しい」「どうしてあんな事をするんだろう。嫌 だなあ」と負の感情が戻ってきてしまうのが私らしいのですが・・・。
ところで、我が家には名前の付いた場所が沢山あります。果樹も無いのに果樹園とか、米もとれないのに水田とか、アヒルも居ないのにアヒル池とか。 もちろん名 前の由来や思いはあります。それで別宅と本宅を結ぶこの道も「ありがとうの小径」と名付ける事にしました。
この道を歩く時だけは、どんな辛い状況でも、どんな嫌な感情があっても、「ありがとう」と声に出そうと決めました。不思議なもので「ありがとう」 を繰り返していると、意味はないけれど嬉しい気持ちになってきます。

「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」
言魂って絶対あると思います。ダメな私は決心や覚悟が長続きせず、恨んだり憎んだり悲観したり。だから毎日、せめてこの林を通り抜ける時だけは 「ありがとう」の気持ちを思い出し、心から色んな事に感謝していこうと決めました。
林の中には焼き物も置いていま す。この道を通る方は、いくつの焼き物たちと出会う事が出来るか挑戦してみて下さい。そして馬鹿らしいとか気味悪いなどと思わずに「ありがとう」と思いながら歩いて下さい。
多くの人の「ありがとう」がここ に積っていって、どんどん膨らんで広がっていく気がするからです。