時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「対話」

我が家の主燃料は薪です。プロパンガスもありますが、夏の暑い時期の調理に利用する程度で、一年中、朝は薪ストーブをつけて豆腐を作ったり、昼食の準備をしたりしています。
ですから生活の大部分は薪準備に費やしています。
薪は敷地内の枯れ木や植林した松で充分過ぎるほどありますが、チェーンソーを使わずのこぎりで挽いて、手斧で割っているので時間がかかります。
以前は5月頃から雨が多くなり外仕事が出来ないので、冬は冬籠りと称して作陶したり、日本語の授業の教材作りをしたり、日本から送ってもらったDVDを見たりしてのんびり過ごしていました。
ところがここ数年、冬でもほとんど雨が降らなくなってきました。一応夏の間に充分な薪は準備していますが、天気が良いと何だか家の中にいるのが勿体無くて、のこぎりを持って外へ行ってしまいます。
貧乏症の私は、いつでも(薪が足らなくなったら困る)という思いがありました。
この冬も雨は降らず快晴の日が続きます。私は毎日寒さが和らぐ昼過ぎから外に出て薪仕事を始めます。
松は成長が早く大きくなり過ぎると、のこぎりでは手に負えなくなるので、せっせと倒して薪にしています。
特に今は体調が良く、身体を動かして働ける事が嬉しくて有り難いのです。
「毎日毎日時間があれば薪の準備をしている」と言うと、大抵の人は「大変だね」と同情してくれます。確かにこの年でこんな仕事をするおばさんなんて、なかなか居ないよなあ〜と自分でも思います。でも私がやらなきゃあ、誰が私の薪用意してくれるの?!という切羽詰まった思いもありました。

でも最近気が付いたのです。
「無理して義務でやっているんじゃ無い。
私はこうして自分の手で、自分の生活に必要な燃料を準備している。
その暮らしがとても好きだ。
そして外でこうして働ける事がとても楽しい。」と。

倒す松を決めると、数日前から松に「ありがとう。薪にさせてね。」とお礼を言います。切ると決めた木は、最初に手の届く範囲の枝を払います。次に倒す方向を見極めながら、のこぎりで松の幹を切っていきます。松が倒れたら枝を整理し、担いで運べる長さに切って、家の近くに運びます。そこでさらにストーブに入る長さに切り、太いものは斧で割ります。
そして最後に日光の当たる軒下に空気が入るように積んでいって乾かします。

一本の松を全部自分1人で薪にすると、「ああ、良い仕事ができた。」ととても満足感があります。そしてここで暮らせて良かったと心から思います。

薪がなくなったらどうしよう・・という思いで薪仕事をしていると思ってきたけれど、本当は大好きでたまらないからやっているんだと分かったのです。
幹を切っている時も、枝を整理している時も、斧で割っている時も、私はこの松と対話している。松の命を引き継いでいるんだと実感しています。

もちろん生活に必要な薪全部を1人で準備することなんて出来ません。でも自分で出来るところまで、全力を尽くしてやっていける今を、とても貴重な時間だと思います。