時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「覚悟なんて出来ないから、今を大切にするしかないと悟った日」

私には大切なアルゼンチンでの家族が居ます。
それは3匹の犬と3匹の猫です。
一番年長が12才の猫の「福」。年少が4歳の犬の「お豆」です。20年のアルゼンチン生活で、一緒に暮らしたのは猫、犬、ウサギ、ヤギ、鶏、アヒル。 私の腕の中で息を引き取っていった子もいますが、突然居なくなってしまった子 もいます。

「口のあるものは飼ってはいけない。身動きできなくなる。」
「動物なんて置き去りにしても、それなりに生きていくから気にするな。」
「動物は環境に順応するからあんたじゃなくても大丈夫。」

そう言われた時、確かに一理あるとは思いましたが、私には絶対できない事だとも思いました。
たとえ短期で誰かに留守番をお願い出来ても、私は心配で家を空けたくありません。人の子ならそれなりに責任を持って預かってもらえますが、犬や猫 たちは そうはいきません。私が人を信用していないだけかもしれませんが、今一緒に暮 らしている子たちは、私が彼らの命の責任を持っているからで す。私じゃなく ても良いかもしれないけど、私でありたい、私であり続けようと決めています。 何より、私が彼らでなければだめだからです。彼らに励 まされ、癒され、支え られているからです。
そして、自分の年齢や体調、将来を考え、新しい家族は増やさず、今の子たちを 私が最後まで責任を持って、辛い思いをさせずに見送っていこう、最後 に残る のは私。それは物凄く寂しい事だけどそうでなければいけない、絶対に彼らを見 捨てないと覚悟を決めました。

ところで先日、突然、11歳の猫の「福結び」(通称びんちゃん)が寝込みました。毎朝、私が目を覚ますと気配を感じて「早くストーブ付けて。ご飯 頂戴。」と鳴きながらまとわりつく子が、箱の中で丸くなって顔も上げません。家 から出ない子なので、悪いものを食べた可能性は無く、怪我も無い様です。心配でしたが、しばらく温かくして静かに見守る事にしました。お昼には元気に なって起きだすだろうとたかをくくっていました。ところが全く起きださず、 それは翌日も続きました。痙攣したり、苦しんだりはせず、ただただ丸くなって 寝ています。
お母さんの福は元気なので、娘のびんちゃんが老衰とは考えられません。沢山の動物たちを見送った経験から、逝ってしまう子は目の窪み方や周りの空 気からそれとなく分かります。でもびんちゃんにその気配はありません。
大丈夫。絶対元気になる。
そう信じる気持ちと同時に、このまま逝ってしまったらどうしようという思いが拭えず、物凄く不安になりました。
びんちゃんを見守った3日間、私はただただ不安で心配で泣けそうでした。
この子たちを見送ろう、最後に残るのは私であろう、そう思っていたはずなのに、「嫌だ。絶対嫌だ。私を置いていかないで。」と心で叫んでいまし た。
そうして分かりました。私の様なダメダメ人間には覚悟なんて出来ないんです。そして覚悟なんてする必要も無いんだと。

覚悟したから耐えられる、平常心でいられる程私は出来た人間じゃないんです。寂しい、悲しい、辛い。
ずっと変わらない事なんて何もないと分かっているけれど、覚悟して強くなる事も出来ません。だから寂しい時は思いっきり寂しがって、悲しい時は思 いっきり泣くしかないと思いました。
大事なのは今ある事。今を大切にする事。自分が選んだ今に後悔しない事。そんな当たり前のことに今さら気付きました。

びんちゃんが3日目に起きだし水を飲んでくれた時は、その生命力に感謝しました。いつか確実に訪れる別れの時なんて考えない。一緒に居られる今を 大切に しようと改めて思いました。

農場ではプラムとサクランボの花は散りましたが、リンゴが満開です。つぼみの時は濃い紅色で、花開くと薄桃色。しっかりとした花弁はサクランボの 様な儚さがなく、遠くからでもよく目立ちます。
10月も終盤なのに、未だにストーブか欠かせない寒い日が多いです。
ソラマメとエンドウ豆の芽がやっと出始めました。
ジャガイモの植え付けも終わりました。
晴れの日には、薪準備の樵仕事にも精を出します。こうして自分の暮らしの事が自分で出来る幸せに感謝しています。

写真は福結び(びんちゃん)と新芽が橙色に輝いているポプラ並木です。私は秋の黄金色に輝くポプラより、春先の橙色に燃え立つポプラが好きです。