時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「消えた。無くなった。心が痛い。」

この冬は暖冬でしたが、雨やじめじめした日が多く、ぬかるみの農場を歩くのが億劫で朝夕の犬たちとの散歩もしていませんでした。足から体力は衰えると聞い ていましたから、歩かなければ・・・と思ってはいましたが、何かと自分に言い 訳をして散歩をしませんでした。
それが先日の寒い朝、突然「今日は歩こう。」と思い立ち、霜の降りた農場を久しぶりに散歩しました。
滑って転ばない様に気を使いながら、ゆっくりゆっくり歩き、小川の流れる隣人との境界線まで行って引き返しました。
その時、お隣が切った松の枝が我が家の小道を少し塞いでいたので、柵の外、隣人側に倒しておこうと枝を頭の上まで持ち上げた時です。

生木は想像以上に重く、おまけに昨日までの雨で濡れていたので手が滑って、結構太い枝が「がーん」と顔にぶつかってきました。
「しまった!前歯が折れた!」
痛みより先にその衝撃があり、半分パニックになってしまいました。
鏡で確認しなきゃあ、と顔を抑え大急ぎで家までもどりました。幸い鼻の下に軽 いすり傷は出来ましたが、歯が折れる事もぐらつく事も無く、鼻血も出ずにほっ としました。そして落ち着いたところで、私は眼鏡をかけていない事に気が付い たのです。
あわてて松の所に引き返し、探しましたが見つかりません。
「あっそうか・・・。眼鏡をかけて出たと思いこんでいたけど、いくらバカな私 でも、眼鏡が外れたら気がつくはず。今朝はかけずに出てきたんだ。」
そう思いなおし、家へ帰って何時も置く場所を見ましたがありません。
そうなると再びパニックです。朝歩いた道をもう一度たどり、眼鏡が落ちていないか探しました。家でもゴミ箱の中まで探しましたが、どこにもありません。目を皿にして何度も何度も広範囲を探しましたが、見つかりませんでした。
正しく忽然と消えてしまった感じです。
そうしてもう探しようが無い、見つけようがないと思った時、心が深く痛みました。
あの眼鏡は、最後に日本に帰った12年前に買ってもらった大切な眼鏡なのです。
フレームはゆがみ、レンズも傷だらけでしたが、12年ずっと私の一部として馴染んできたのです。
「何所に行っちゃったの…」
犬や猫の様に、自ら歩いて行ってしまった訳がありません。私がどこかに置き忘れたか、落としてしまったのです。
でも外で眼鏡を何処かに置く事なんてありえないし、枝がぶつかった衝撃で外れてしまったとしても、気がつかないなんて考えられません。
そもそもあの朝、眼鏡をかけて散歩したのかさえはっきりと思い出せません。
認知症の始まりか・・・と、恐ろしくさえなっています。
人から見たら単なる眼鏡だけれど、それを一緒に選んでプレゼントしてくれた人と、その時の情景がありありと思い出され、もう二度と戻らない大切な何かを無くしてしまった、取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんでいます。
こちらで買った予備の眼鏡があったので、取敢えず生活の不便はありませんが、使い心地は全く違います。
大切なものを失ってしまうのは、こんなにも突然であっけないものなのかと寂しい気持ちです。
でも、悔やんでいても何も戻って来ません。あの眼鏡が、私の代わりに何か良くない事を一緒に持って消えてくれたと思う事にします。

パタゴニアも春が間近までやってきています。
朝日の昇るのが随分早くなりました。雪の山頂に朝日があたり光る瞬間がとても 好きです。
9月になったら畑にエンドウ豆を播きつけようと思います。