時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

別世界

こんな時だからこそ、自然の美しさや優しさ、パタゴニアに暮らす楽しさを伝えたいのですが、私の周りにもコロナウィルスが大きく関わってきました。

 

先週まではニュースでコロナウィルスのことは知っていましたが、どこか遠い世界の映画の中の出来事の様に感じていました。ニュースを見なければ、全くいつもと変わらない毎日でした。

ところが、先週の月曜に突然、政府が学校閉鎖を発表しました。その時は強制では無く、子供を学校に行かせない様に呼びでしたが、翌日には急展開。隣の州の州境が閉鎖されました。

隣と言っても歩いて行ける距離です。私も友人の家に遊びに行く約束をしていたし、日本語の家庭教師も始まったばかりでした。

同じ州でも、ボルソンの町の中心へ行く前に検問ができ、身分証明証を提示、名前や住所、目的を記入されました。朝早かったのですが、検問通過まで30分かかりました。日中は交通量も増えもっと大変なことになっていたそうです。

スーパーは人数制限で外で待たされ、公共機関は全て休み。海外から2週間以前に来た人は隔離して経過を見る事になりましたが、その隔離場所の指示はありませんでした。

町に住む友人がビデオを送ってきてくれましたが、人のいないメイン通りをパトカーが走り

「コロナウィルスのため、急用以外は外出しないで」と呼びかけていました。

そして水曜日。大統領から全土に外出禁止令が出され、違反者は罰金、または逮捕となりました。勿論、生活必需品の買い物、緊急の用事は午後3時までは認められていますが。

自然公園の閉鎖、観光地、山への入山禁止、山小屋の閉鎖。お祭り、屋台の中止。

長距離バス、航空便は全て運休です。

 

あれよあれよと言う間に事態は急転換して、ニュースで見ていたことが現実になりました。

 

で、私の生活は?と言うと、実はほとんど変わっていません。

始める予定だった日本語教室や豆腐の卸が中止、収入源が無くなったのは痛いですが、今のところそれ程大きな問題ではありません。

冬に備えて米や小麦粉、油などは充分にあったし、畑には野菜があるし、スモモとリンゴが実っているし、受け入れていたボランティアも丁度いなくて彼らの食事の心配をしなくていいし。

唯一の問題は犬達用の肉が買えなくなったこと。でも月曜日に気になって、ドッグフードとキャットフードを買っておいて正解でした。

 

外出禁止令でも、我が家の周りは公道に出ずに他の家に行けるので、昨日も友人が遊びに来て、卸せなくなって大量にあった豆腐で一緒に食事をしました。8kgの注文があって用意していたのがキャンセルですから、味噌に漬けて1週間後に燻し豆腐を作る予定です。

この燻し豆腐、実は大人気なのです。手間暇かかるし、最近豆腐の注文が増えて燻豆腐用豆腐を作る時間がなくなって作れなかったのですが、これで普段お世話になっている人たちにプレゼント出来ます。これを知った友人の1人は「やった~」と大喜びしてくれました。

見方を変えれば、どんな事も悪いことばかりじゃないんだと思いました。

 

けれどもこれが長期化すれば、物資不足で混乱が起きるし、本当に困って途方にくれている人だって沢山います。世界中で混乱が大きくなります。

幸いボルソンでは感染者は今のところ発表されていません。

 

今家にいると、犬達はのんきに昼寝して、チャミの子達がヨタヨタ歩き回る最高に可愛い時期で、キツツキが木の幹を叩き、ハチドリがやって来て、リンゴが日に日に色付いて、露天風呂を沸かす煙が青空に溶け込んで、久しぶりに本当に久しぶりに轆轤を回して作品を作り…。

平和で幸せな毎日です。

 

この先世界がどんな方向へ向かっていくのか分かりません。

でも私は私の生きる世界を大切にして、生きさせてもらっている今を感謝して、同じ方向を向いて進んでいける人たちと、焦らずゆっくり進んで行くことにします。

 

 

 

 

 

 

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私の声に反応してくれます