時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「すみません。私が日本を代表しっちゃてます。」

4月からずっと曇り、雨、風のどんよりした日が続いています。もう少し薪の準備をしたいのですが、この悪天候では外仕事がなかなか出来ません。山 の紅葉も鮮やかさが少し足りなかった気がします。
農場では果樹の葉も散り、落ち葉の黄色の絨毯が雨にぬれています。
4日の日曜日、お隣の市で6回目の民族祭がありました。日本代表として毎年参加させて頂いています。このお祭りが終わると、私は冬籠りの季節に なったんだなあと感じます。
さて今回はこの民族祭のお話を。
このお祭りは移民達が、それぞれのスタンドで自分の国の文化、食べ物を紹介販売し、民族衣装をつけ音楽や踊りを舞台で発表するものです。毎年毎年 規模が大きくなっています。
日本は毎年移住の先輩ご夫婦、わたしと日系2世の友人が参加しています。今年は日系ボランティアの方が4月末にエルボルソンで子供の日、ひな祭り の紹介、折り紙講習会を開催して下さったので、テーマを折り紙、子供の日、ひな祭りと決めスタンドを飾り付けました。
私個人は味噌の普及を第一目標にし、味噌パンを作り、自家製麦味噌、空豆味噌、クルミ味噌、トーバンジャンを200gパックで販売しました。その ほかは巻き寿司と鳥の空揚げ、天ぷらを作りました。
友人は立体折り紙の作品、野菜まん、あんまんを販売しました。
寿司は人気です。料金を高めに設定したにも関わらず、あっという間に売り切れてしまいました。昨年は目先の利益にとらわれ、コストを安くあげよう と見た目も味も貧弱な酷い寿司を作ってしまったので、今年はそんなことが無い様気合を入れて作りました。
お祭りの前日から強風大雨の嵐の様な悪天候。当日は4時起きで寿司を巻き、天ぷら唐揚げとセットでパック詰めしましたが、なんと夜半から停電。ろ うそくを何本も灯して薄明かりの中での作業となりました。
12時から開場でしたが、あいにくの雨。例年ほどの賑わいはありませんでした。舞台では各国の民族舞踊、音楽演奏などが発表されました。移民でも 目立ちがり屋のアルゼンチン人気質はしっかり沁みついていて、歌って踊ってと大騒ぎでした。しかもかなり本格的で驚きました。
日本は合気道初段の方が、その生徒さんと模範演技をして下さいました。歌でも踊りでもなく武道と言うのが日本らしくて良かったです。
民族衣装は日本語教室の女の子に浴衣を、男の子には法被を着てもらいましたが絶対的に数が足りず、寝巻用の浴衣まで持ち出して着つけました。しか も着つけがいい加減。日本の方が見たら「日本の恥」とお怒りになると思いましたが、みんなが奇麗だなんて言って感動してくれたので、まっいい か・・・といつもの私の悪い癖で乗り切ってしまいました。
本当はお揃いの法被とか、浴衣があれば言う事なしなのですが、この田舎ではどう仕様もありません。
希望者に浴衣体験をして頂いて記念写真を撮ってもらおうと企画していましたが、日本語教室の生徒さんたち、気に入ってお祭りの終わりごろまで衣装 を脱ぎませんでした。本当にみんな嬉しそうで楽しそうで、私も気持がほくほくしていました。
個人目標の味噌の普及は正直失敗に終わりました。でも人口26000人の町で、味噌の消費(私が卸している分だけ)が年100kg以上あり、それ も年々増えているので、それだけで十分と言えるかもしえません。
来年の話をしたら鬼が笑いますが、次回の目標はガラス食器主流のこの国で焼き物食器の普及に決めました。
角皿、丼ぶり、デザート皿など日本的な焼き物を作り、それに寿司や天ぷら、ようかんなどを盛りつけて売ってみようと思います。
準備は大変ですが売り上げは結構あり、強欲な私にぴったりのお祭りです。
正直体力的に何時まで参加出来るか分かりませんが、参加出来るうちはその事に感謝して、一生懸命取り組もうと思います。