時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「パタゴニアの奇跡のリンゴが・・・」

今夏は果実の収穫が無く、寂しい秋を迎えようとしています。昨年も収穫が悪かったのですが、それでも今年の様に殆ど無しという訳ではありませんでした。
春から初夏、リンゴもスモモも花梨も木イチゴもサクランボもプラムも、みんな見事に花を咲かせてくれていたのに、その後の低温と旱魃でか実をつけても驚くほど少なく小さいか、結実なしかでした。こんな事は初めてです。
ところが、がっかりしながら「来年は実を結んでね」と声をかけ農場を見回っていたら見つけたのです。たった一個だけど大きな実をつけたリンゴの木を。
この木は去年が初めての収穫の若い木です。リンゴ好きで落ちたリンゴを種ごと食べていた亡き愛犬「天和」の置き土産か、家から離れた場所のローズ ヒップの藪の中で育ちました。3年前の雪で折れてしまいましたが、そこからまた立ち上がって空に向かって伸びています。果実はシャリシャリ感のある細面の美人さんでした。
諦めていたので、その実を偶然見つけた時は「やった〜!凄い!!」と大声が出ました。
たった一つだけでしたから、果実は形も良くかなり大きく育っていました。
これならあと一カ月もしないで収穫できそう。やっぱりその場でガブリとかぶりつくのが一番だな。
考えるだけでよだれが出てきました。
20年住んでいて初めての果実大不作の年。がっかりを通り越し、異常気象を不吉に感じていたのですが、この子は私に希望を与えてくれました。
これこそパタゴニア、のうじょう真人の奇跡のリンゴに思えました。そして収穫を楽しみにしていました。
けれども今年は来客が多く、滞在も1週間2週間と長く、気の置けない友人たちでしたが食事の支度、掃除、合間を見つけて薪の準備と落ち着かない慌 ただしい毎日を過ごす事になってしまい、忘れたわけではありませんが、散歩道から外れた場所のリンゴを見に行くことが出来ませんでした。
そして先日やっと収穫のつもりでリンゴの木に行って、私はふにょふにょと力が抜けてしまいました。
なんと、あの大きくて可愛かったリンゴが見事に喰い荒らされていたのです。
ああ・・・私の奇跡のリンゴが・・・
おそらくアシナガバチの仕業でしょう。やられました。
きっと「早く来て。収穫して。」とリンゴが呼んでくれていたのに、忙しさにかまけて行かなかったので、アシナガバチが先に見つけて食べたのでしょう。自分の判断力と自然への観察力の無さを実感しました。当たり前ですが自然に生きる蜂は偉大でした。
奇跡のリンゴを味わう事は出来ませんでしたが、種は播きました。
何十年か先に、きっと誰かが奇跡のリンゴの子供たちを見つけ味わってくれる事でしょう。その頃にはのうじょう真人も、もっともっと緑の森に変わっていて,その緑が雨を呼び、旱魃も無くなり、農場中に果実が実り、野鴨もフクロウも戻って来てくれて緑の楽園になっていると信じています。