時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「パタゴニアの冬の贈り物」

年令と共に段々パタゴニアの寒さが身に堪えて来るようになりましたが、それでも私は冬が好きです。車の運転には危険で町に行くには不便ですが、特 に雪景色が好きです。雪の滅多に降らない地方で育ったので、降り積もる雪を見ていると今でもうきうきわくわくします。ただ以前はよく降っていたの ですが最近では殆ど降らなくなってしまい寂しい限りです。
今冬は暖かく不気味な感じがしていましたが、7月の後半は寒波が押し寄せ、久しぶりに地面も一日中凍結し、水道管も凍ってしまう寒い日が続きました。
若い頃は心臓も縮みあがる様な冷たい水で素手で洗濯をしても平気でしたが、今はストーブにかけたやかんが沸くのを待ってお湯で洗濯するようになりました。夏の間に蓄えておいた薪も、ケチらずに使って暖かく過ごすようにしています。
それでも家の端にある火の気のない陶芸工房は冷蔵庫 の中の様に冷え切ってしまいます。面白いもので、これだけ冬が厳しいのに家のつくりには寒さ対策がありません。技術的に隙間の無いドアや窓作りが 出来ない事もあるかもしれませんし、天井が高く一部屋が広く窓の大きい事が家の理想と考えている節もあります。正直住みにくいアルゼンチンの家ですが、嬉しい事もあります。それはパタゴニアの寒さが私に見せてくれる冬の贈り物があるからです。
陶芸工房で白い息を吐きながら火ばちに火をおこし、部屋が暖まるのを待つ間、私はその贈り物を楽しんでいます。それは凍りついたガラスの模様で す。いつもいつも”はっ”とするような造形を見せてくれるのです。部屋が暖まると消えてしまう儚い美しさ。誰かに見せる為とか、自分の思いを表現するとか、そんなもののない無為自然の美しさ。

この国に根をおろして生活している移住者、特に長く暮らしている方ほど感じていると思うのですが、今のアルゼンチンは理不尽で厳しい面が多々あります。
実際に母国に帰国してしまった移住者も居ます。年だけは取ったけれど移住者としては若輩者の私だって、うんざりする事が沢山あります。誠実にま じめにする事が報われないと、本当にがっかりします。不平不満を言いだしたら止まらなくなりそうです。
でもきっと、それはどこに住んでも、何をしても程度の差はあれ同じだと思うのです。そして改めて自分の周りを見回すと、感動や感謝や面白さが後から後から湧き出てくるのにも気付きます。凍った窓ガラスにもその一日が弾むような喜びがあるのです。
それはとても小さな事かも知れません。でもそんな小さな美しい事、小さな楽しい事が私の中で大きく暖かく膨らんでいってくれます。

友人の言葉を借りれば「体も溶けそうな暑さ」まっただ中の日本の皆様に、少しは涼しさを感じて頂けるようにパタゴニアの冬の写真をお送りします。冬の贈り物が皆様の心に届きますように。