時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「ラゴプエロ市の民族祭」

今年で4回目の参加となるお隣の市ラゴプエロでの民族祭。このお祭りが終わると冬だなあ〜と感じる程、私の中で季節行事となりました。
移民の国アルゼンチンらしいお祭りで、準備は大変ですが私は参加出来る事が楽しみです。特に今まではアジアからの参加は日本だけだったので、力が入りました。
今年は日本の他にインドの参加もありましたが、ヨガを勉強したチリ人がインドとして参加しており「???」と思う部分もありましたが、まあ固い事は言わない事にします。
今年から民族衣装を最低2人は着て参加すること、12時から夜9時まで途中で帰らない事という厳しい決まりがありました。民族衣装は浴衣を日本語教室の生徒さんに着てもらい、私は作務衣を、共同開催者の日系二世の友人はハッピを着ました。
用意したのはもちろん巻ずし。そして今年はおにぎりとてんぷらセットも作ってみました。他にはおまんじゅう、かりんとう、あんぱん、ごまクッキー。友人は折り紙で作った雛人形や傘、フクロウ。私は焼き物の風鈴とすり鉢。
飾り付けは藍染の壁掛けや坂本竜馬のポスター、暖簾、日本大使館広報文化センターさんからご協力頂いた風呂敷や扇子、カレンダー。私の下手な習字も飾りました。
今年から各国のスタンドが大きくなり、十分な準備期間が無く、アイデアも思い浮かばず、テーマのない飾りつけになってしまった感もあります。
今までは純粋に「日本代表」「日本文化の紹介」を思って準備し参加していました。けれども今年は文化センターの閉鎖から日本語教室が休業中だったり、家つくりで無一文になってしまったり、車のバッテリー交換時期だったりして心の卑しい私は「儲け」の方の重点が大きくなっていました。
かりん糖もアンパンも今一の出来でしたし、寿司に至っては「見た目も悪いしまずかった」とはっきり夫から言われました。
正直私自身が「うう〜ん×××・・・」と思う出来でしたが、30食分も作ってしまったので作り直す気力も時間も無く、私お得意の「まあいい か・・・」と当日売ってしまいました。
ゆかたの着つけでも、見よう見まねでも出来るのは私一人。寒かった事もあり、服の上から浴衣を着てもらったので、随分だらしない着つけになってし まったけれど、やはり「まあいいか・・・」で済ませてしまいました。(ただ言い訳になりますが、腰の位置が高く、お尻が異様に大きいというアルゼ ンチン人の体系での浴衣の着付けは非常に難しかったです。)
当日は人人人・・・で、結局どこのスタンドも見に行く事ができませんでした。
そして私の酷い寿司やかりん糖も完売しました。
去年までなら「喜んでもらえて良かった。日本の紹介に少しは貢献できた。」と充実感がありましたが、今年は自分の心の貧しさを痛感し、日本人として恥ずかしい事をした、日本の評判を落としてしまった、と落ち込みました。
先輩移住者や日系人の方たちがアルゼンチンで培ってきた良い評価を、目先の利益だけに惑わせれた私は踏みにじってしまったと思います。
日本が民族衣装部門で表彰されましたが、嬉しいよりも恥ずかしいと思っています。多く方が「奇麗だ」と浴衣を着た女の子たちを写真に収めていまし たが、本当の美しさを紹介できず、着てくれた女の子たちにも、日本にも、日本人の方にも、写真を撮った方たちにも「ごめんなさい」と思っていま す。
長い時間をかけて養ってきた信用も、無くすのは一瞬です。
落ち込んでいじけて引きこもってしまいましたが、自分の貧しさに気付けて良かったです。もう遅いかもしれませんが、今からまた始めれば良い、きちんと日本と向き合って行けばいいと思っています。
もう日本食として恥ずかしい物は出しません。忙しいから、誰も知らないんだから、と手抜きで着つけをしたりしません。「まあいいか・・・」は止め にします。出来ない事が多いけれど、出来る事は誠意を持ってきちんとやります。
この年になっても沈んだり浮かんだり、感動したり、反省したり、そういう素直な気持ちを味わえるのは、パタゴニアに暮らしているからなんだろうな、と感謝しています。
恥の上塗りですが、自分を戒める意味も込めて浴衣の写真をアップします。