時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「日本カレンダー展」

能も無いくせにその場ののりで後先も考えず「やりたい。やります。」と言ってしまう私の悪い癖。もう何度もそれで周りの人たちに迷惑をかけ助けてもらってきたのに、今回も またまた言ってしまいました。
それはちょうど一年前の事。ブエノスアイレスで在アルゼンチン日本国大使館広報文化センターの方とお会いする機会がありました。その時毎年日本のカレンダー展を主催されており、各地で開催している事をお聞きしました。
「素敵ですね。」で終わっておけばいいのに、「わあー羨ましい。パタゴニアで開催された事はあるんですか?是非エルボルソンでやりたいです 。」と言ってしまったのです。
「そちらで準備を進めて下さるのなら、候補地として検討しますよ。」のお言葉に調子づいて
「是非是非お願いします。パタゴニア初の日本カレンダー展、実現させたいです!」とダメ押しをしてしまいました。

そして新年早々、開催意思確認の連絡を頂いたのです。何の準備も心構えもしていませんでしたが、 多くの候補地からここエルボルソンを選んで下さった事に感激して直ぐに「お願いします」と返事を差上げました。
で、自分の計画性、実行力の無さを自覚している私は、日本大好きで旧日本語検定3級合格者、エルボルソンの観光局に勤める友人のラウラに泣きつき協 力を頼みました。
彼女の尽力で市の文化センターの展示会場を無料で2週間借りる事が出来き、在アルゼンチン日本国大使館広報文化センターから75部の美しいカレン ダーも届きました。
開催中、習字教室やけん玉、あやとりなど日本の遊び体験、漢字講習なども計画し、開会式には巻きずし、あられ、てんぷらを作りました。
忙しいラウラに頼りながらも、私なりに頑張ったつもりです。
で、結果としては、計画した講習会には誰も来ず、正直今一つ盛り上がりに欠ける展示会になってしまいました。
考えられる原因は
文化センターの会場予約が一杯で、開催が新学期が始まり観光客が減る2月の末になってしまった事。
文化センターは公立の施設なので祭日や日曜日が閉館、土曜日は夜8時から10時の2時間のみの開館、平日も2時〜6時は昼休みで閉まり、人の 来やすい時間帯に開いていなかった事。
文化センターでの各講習会の開始が3月末からで、人の出入りが少なかった事。自分でラジオや地元テレビ局に積極的に売り込みをせず、招待状も限られた友人にしか送らず、宣伝不足だった事。
文化センターの人事異動、移転問題などで所長不在のごたごたした時期に重なってしまった事。
夏のパタゴニアには珍しく雨が多かった事などがあります。

それでもある方から「エルボルソンで開催出来たこと自体が成功だったんだよ。」と言って頂き、元気が出ました。それに日系人の方から「日本の文化 紹介をしてくれてありがとう」とお礼を言われ嬉しかったです。
また来て下さった方たちも、カレンダーを通して日本の風景、四季の美しさや、料理、建築、文化の繊細さ、多様性などにとても感動していました。
展示会終了後カレンダーは全て無料配布しました。これはラウラの御蔭で、市長はじめ観光局、文化関連施設などに滞りなく配る事が出来、大変喜んでもらえ大きな日本文化紹介になったと思います。

カレンダーの部数に限りがあり、立候補地も多いので、毎年の開催は難しいと分かっていますが、「その場ののり」ではなく本気で「もう一度開催した い」と思い、今から来年の開催地に立候補しました。
次回は民族祭や焼き物ワークショップなどでお付き合いのあるお隣の観光地ラゴプエロ市での開催を考えています。

こんな貴重な経験をさせて頂き在アルゼンチン日本国大使館広報文化センターの皆様には心から感謝しています。
そして私を支え助けてくれたラウラ。開会式にわざわざ足を運んでくれた友人達。本当に 有難うございました。
今、カレンダーを一枚一枚めくり、丹念に熱心に見て下さり、「とっても奇麗ですね。素敵な展示をしてくれてありがとう」と声をかけて下さった方々の姿が心に浮かび、とても幸せな気持ちです。