時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

「2月28日」

「残念ですが、現実は受け入れなければなりません」

これは大好きで尊敬していた先輩が余命宣告を受け、それを私に伝えてくれた時の一年半前の言葉です。

移住してからずっと、私の心の支えでした。何でも相談してきました。頼って甘えてきました。苦しい時期に経済的にも助けてもらいました。
ブエノスに行った時はいつも泊めてもらいました。
10年前日本へ一時帰国する時、「いつか焼き物の展示会が出来たら良いなあ」とちょっとした会話の弾みに言っただけで、2カ月後のアルゼンチン帰 国時に、日本庭園の文化部の部長さんと会えるよう話が進んでいました。通訳も兼ねて付き添って下さり夢でしかなかった展示会が実現しました。宣伝 も作品運搬も展示もご自分の展示会の様に動いて下さり、開催中毎日お弁当まで用意して下さって初回の展示会は大成功しました。私が焼き物を続けて来られた原点の気がします。
人の幸福を心から祝福できる方でした。無償で人を助け励ましてくれる方でした。本当に奇麗な方でした。女性の美しさは心からにじみ出てくるものが無ければ本当には輝かないんだといつも感じていました。
彼女の悩みや葛藤も話してくれました。それでも明るく前向きで、私も随分励まされました。

「人は先が長いと思っているから悩むんだと分かりました。」
この冬、一人で悩み落ち込んでいた私は、彼女のその言葉に自分の甘えと贅沢さを知りました。
「時子さんも一つの考えにとらわれず、もっと物事をシンプルに見られたら楽に生きられるんじゃないかなと思います」
それが私への最後のメッセージになりました。

私の部屋は彼女から送ってもらった本で溢れています。お揃いのセーターも持っています。寒くないようにと沢山の靴下もプレゼントしてくれました。最後に会った時、お土産を詰めてくれたかばんもあります。
何時も「ご恩は出世払いで。でも私は出世しませんよ。」と冗談を言っていました。でも必ずご恩返しをしようと決めていました。私は彼女から受け取った物が大きすぎます。大切な事を沢山教えてもらいました。それを無駄にしない事が、私に出来る唯一の彼女への恩返しだと思います。
「時子さんは大げさですよ」
彼女の笑い声が聞こえます。

私の日常は続いているのに、メールを出してももう返事はもらえません。ブエノスへ行っても会う事が出来ません。

でも私はまだその現実を受け入れる事が出来ません。