時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

10月の桜の花見

パタゴニアで花見をしました

 

私の住むエルボルソン市には、街の中心地に八重桜が植わっています。

40年くらい前にアルゼンチン人と結婚、最初の日本人移住者の女性が楓と共に移植したそうです。

毎年毎年見事な花を咲かせ、街の春の名所になっています。

日系人会が四年前に発足しました。

日本からの移住者は私を含め5人だけですが、三世、四世、五世の日系人を含め60人近くの大所帯です。

発足時集会がありましたが、ええ~!こんなに日系人がいたの?ととても驚きました。

日本語を話せる人は日本人以外ほとんど居ませんし、日本人はひいおじんさんだけという、どこから見ても日本人に見えない日系人の子供もいます。

また生粋のアルゼンチンだけど、日本大好きという人も数人会員として参加しています。

みんなが日本や出身地を背負っている訳ではなく、ただ日系人であることが自慢、日本が好きという人たちの集まりなので、とても和気藹々と楽しんでいます。

コロナで中断していた花見も再開しました。

日本の文化習慣をここでも楽しみたいという趣旨でした。

海苔巻きやどら焼き、お饅頭を作り持ってきた人もいます。私は初めて参加し、味噌クッキーを作って持っていきましたが、これって、私が勝手に作っているだけで、日本を代表するお菓子でもなんでも無いですよね…。

簡単な折り紙と習字のワークショップをし、私は日本から持参した習字道具を持って行きました。デモストレーションは7年間ブエノスで日本の先生から学んだアルゼンチン人女性が引き受けてくれました。

 

ブエノスアイレス州では盆踊りや文化祭など、多くの人が集まる一大イベントとなっていますが、わが町ではこじんまりとした可愛い花見でした。

 

最高齢93歳、移住70年の日本人移住者の女性は、日の丸の国旗を見て「アルゼンチンが好きだけど、日の丸を見ると涙が出てくるのは、やっぱり日本人だからだね」と涙ぐんでいました。

 

私は味噌や豆腐を作って売ったり、日本語を教えていて、何も日本的なことは知らないくせに、日本人である事を最大限に利用して生活しています。

ネットで簡単に日本の情報がわかる時代ですが、私の言うことが日本を代表しているみたいに受け取られてしまう事もあって、もっと日本について学ばなきゃと反省する日々です。

 

正直日本に住みたいとは思いませんが、日本へは観光旅行したいと思っています。

2024年の春に日本へ行って花見がしたいです。

自分の年齢や体調を考えると、最後の日本旅行になるかもしれないので、夢に終わらず実現したいです。いえいえ、したいじゃなく実現させます。

 

10月も終わりに近づきました。

慌ただしい毎日で、がっかりしたりイライラしたりする事もありますが、それを笑いに変える事も覚えました。

人生楽しんで笑って過ごしていこうと思います。

 

 

桜の下で記念撮影