時子のパタゴニア便り

1994年パタゴニア アンデス山脈の麓の村の5’5ヘクタールの土地に移住。ささやかな自然との暮らしの中で感じた事を書いていきます。

かさなる世界

「ああ、もう今年も半分が終わったんだ」と6月のカレンダーを破りながら、しみじみと感じました。
去年は6月に40年ぶりの大雪が降り、10日以上も停電でした。雪の重みで折れた枝や木を整理しながら、この生木が乾く来年の冬は、薪が十分にあって暖かく過ごせるな、と思っていました。そして今、その冬を過ごしています。あの時感じた気持ちと、今の気持ちとが重なり合って、過去も未来もある様で無いもんなんだなあなんて、訳の分からない事を考えています。
夏から、からりと晴れた日が1週間と続かないどんよりとした日々が続いています。
今年は6月の初めに雪が降りましたが、それからは雨となっていました。でも6月最後の日、雨がいつのまにか粉雪になりました。夕方6時から停電になり、翌朝明るくなって外を見ると、一年ぶりの大雪でした。幸い去年ほど雪の被害は無く、重みで道を塞いだ枝の整理も数時間で終わりました。停電も46時間ですみました。
パタゴニアと言っても、ここでは雪国生活をする日は僅かです。ですから、不便も面白さに変えて、雪の暮らしを楽しむことが出来ます。
さて、今年はワールドカップの年です。アルゼンチンで迎えるワールドカップももう7回目です。
日本にいる頃は、ワールドカップなんて全く関心がありませんでしたし、第一そんな大会が存在することさえ知りませんでした。
アルゼンチンへ来て最初のワールドカップで、南米のサッカー熱に驚きました。アルゼンチンの試合の時は、みんながテレビ観戦しているので町がガラガラになり、商店も開店休業状態になるのです。日本語教室をしていた市の文化センターが試合時には閉まってしまい、何も知らずにいた私は、試合が終わるまで寒風の吹く(こちらは6月7月は真冬ですから)外で待っていたこともあります。周りに合わせて、興味も無いくせに、わざわざ友人宅へ試合観戦に行ったりもしました。
でも今年は私の日常にワールドカップは殆ど関係していません。
アルゼンチンの試合の時も、田舎の家の周りでは静かなものですし、付き合う人も日本語の生徒さんたちもワールドカップには興味がありませんし、町での日本語教室も、文化センターから私立の教室を借りる様になったので、試合でも何の影響もありません。これはアルゼンチンがワールドカップに関心が無くなったのではなく、私がワールドカップに影響されなくなったのだと気付きました。
ずっと、自分の意志よりも人からどう評価されるか、周りとどう同調していくかを考えていました。色んなことを手放したら楽になると分かっていても、勇気がありませんでした。でもここ数年の大きな変化の中で、自分が変わっていけた気がします。
自分らしくいることで、離れていく人もいますが、それはその人と自分の重なっていた部分が少なくなっていっただけで、決して悲しいことでも悔しいことでも無かったのです。そして私の世界と違和感なく重なってくれる人や出来事が増えていくんだと希望を持てるようになりました。
アルゼンチンでワールドカップに影響されない世界が存在して、私の世界がそこに大きく重なった様に、これから先自分らしくいる事で、今まで知らなかった世界や人と重なれ、どんどん心が軽くなっていくんだと思っています。